[未校訂]明応七年の大津波〈小下田〉
明応七年(一四九八)八月二十五日
小下田下村丁の田、津波の為流失。その為、三島神社
は集落の上方に祀ってあったが、集落が上方の土地に移
動したので、現在は神社に参拝するには、石段を下って
神社の前に行き参拝するようになったといわれる。
この大津波は遠江大地震で起こったもので、この時浜
名湖が外海に通じたといわれる。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J3000016 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸國〕 |
書名 | 〔土肥の災害誌〕○静岡県土肥町誌編纂委員会編H12・3・31 土肥町教育委員会発行 |
本文 |
[未校訂]明応七年の大津波〈小下田〉
明応七年(一四九八)八月二十五日 小下田下村丁の田、津波の為流失。その為、三島神社 は集落の上方に祀ってあったが、集落が上方の土地に移 動したので、現在は神社に参拝するには、石段を下って 神社の前に行き参拝するようになったといわれる。 この大津波は遠江大地震で起こったもので、この時浜 名湖が外海に通じたといわれる。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上 |
ページ | 7 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 | 土肥【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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