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項目 内容
ID J3000014
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1432/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1432/99/99
和暦 永享四年
綱文 永享四年九月(一四三二)〔信濃国伊那〕
書名 〔天龍村史上巻〕○長野県天龍村史編纂委員会編H12・11・24 天龍村発行
本文
[未校訂]坂部の地割れと地震湧水
『熊谷家伝記』に永享四年(一四三二)
九月の大地震で坂部に長さ四〇メートル、幅
約三メートルの地割れができたとある。地割れの場所を坂部の
関福盛さんに聞くと、学校入り口付近で、現在は集落中
心部を通る舗装林道になっている。その場所は集落があ
る斜面と学校がある尾根の付け根部分にあたり、傾斜お
よび地形の変換点にあたる。
 この地震の時、地割れができて湯が湧き出たという。
これを岩下井戸という。この湧水を堤本利光さんに案内
された。場所は堤本さんの家から東側の崖下を数メートル下
118 虫川が天竜に注ぐ屋根上に坂部がある。硬
い変成岩を基盤とするが地震割れ目が多い
119 坂部の学校下にある伊勢清水。すぐ横に岩
下井戸がある。神聖視され正月の若水に使わ
れる
120 坂部の上方にあるいたち水。天正の巨大地
震のとき湯が湧き出て、今も水源として使っ
ている
る。領家変成岩の割れ目から豊富な水が出ている。一九
九四年は記録的な日照りだったが涸れなかったという。
 湧水が出る割れ目は並んで二つある。西側の湧水を伊
勢清水という。村中の人が元旦の若水を汲む神聖な井戸
で連縄が張ってあり、日常は使わないとのこと。東側の
湧水は日常使ってもよいとのことである。
 『熊谷家伝記』には「永享五年癸丑八月中、帚星出る。
同年当村(坂部)の岩下井戸の水代りて湯と成。然るに
其の上方に去る地震にて地割れたる所より、間弐間程の
両方に能清水泉出ける故、幾久不渇。此水永く繁昌の為、
源太夫護念して壱方は伊勢清水と号ケて村中の精進井と
定む。壱方は常に用いる筈に定なり」(二の巻)とある。
 この記録によれば、岩下井戸が湯になった地震と地割
れをつくった地震とは別である。古地震記録では永享五
年(一四三三)に相模でマグニチュード七以上の地震が
あった。たぶん、相模湾で起こる巨大地震の一つであろ
うから当地に影響してもよい。
 『熊谷家伝記』では永享四年に地割れができたとあるか
ら、これらの記録を信じれば二年続きの地震となる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 6
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 天龍【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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