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項目 内容
ID J2902019
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1895/01/18
和暦 明治二十八年一月十八日
綱文 明治二十八年正月十八日(一八九五)
書名 〔ベルギー公使夫人の明治日記〕○東京 エリアノーラ・メアリー・ダムタン著長岡祥三訳 H4・10・25 中央公論社発行
本文
[未校訂]一月十八日
 眠ったかと思う間もなく、今まで経験したことがない
ほどのひどい地震が起きて、私たちの平和な夢は破られ
た。こうした場合、一番安全だと思われるドアの框の下
へ、私は急いで避難した。アルベールは部屋に残って、
大きく揺れ動いている電灯を点けようと空しい努力をし
ていた。その一方で私は「早く部屋から出ていらっしゃ
い。煙突が落ちてきますよ」と叫んだ。何故ならこの前
の地震で煙突に太い割れ目が入っていることを私は知っ
ていたからである。まだベッドにはいっていなかったエ
ラは、寝巻のまま階段を駈け降り、応接間を走り抜げて
ヴェランダへ出ると、とうとう庭の端まで行ってしまっ
た。あとになって彼女が茂った松の木の下にうずくまっ
て、半分意識を失っているのを発見したが、その頭上で
大きな鴉が数羽鳴きながら羽ばたいており、裸足の足が
雪に埋もれていた。今度も(神の御加護か)揺れが水平
で垂直ではなかった。もしそうでなければ東京の街の建
物はほとんど倒れたであろう。小さな揺れが一晩中続い
ていた。エラはどうしても寝室に戻ることを肯んじなか
ったので、応接間の一つに彼女のベッドを作った。ベル
ギー人のコックはまたもや虚脱状態となり、しばらくの
間完全に気を失っていた。
一月十九日
 帝国ホテルに居住しているテューク氏からホテルが大
きな損害を受けたことを聞いた。タイムズ社の通信員ト
ムスン氏は、哀れにも落ちてきた壁土に半分埋って部屋
で発見されたが、危うく死ぬところだった。私たちは被
害を見ようとして歩き出し、途中でドイツ公使のグート
シュミット男爵に会った。彼はこの前にも一度かなり被
害を受けたのだが、今度もまた家から出ることを余儀な
くされるかも知れないと私たちに語った。可哀そうに運
の悪い人だ。他の同僚公使たちは思ったほど大きい被害
を受けていなかった。しかし去年の六月に損傷した箇所
のうち、何箇所か損傷がかなり大きくなっている。私た
ち自身についてこう言えるのは本当に嬉しいことだが、
公使館の建物が木造であったため、またもや被害を免れ
ることができたのである。
 午後にここの公使館で大きな接待会を催した。ほとん
ど地震の話で持ち切りで、皆自分の経験を目の当りに見
るように詳しく話した。横浜では死者が数人あったとの
ことで、明らかに東京より被害が大きいようだ。
一月二十二日
 この前の地震以来、私たちは家の煙突の状態を大いに
警戒している。その後も揺れが続いていて―金曜日以
来少なくとも一日一回は揺れる―揺れがあるたびに、
煙突の不吉なひび割れがだんだん大きくなる。
二月二日
 私はエラとテューク氏と一緒に熱海へ向かった。アル
ベールは船に乗って神戸へ行った。私たちは地震の被害
を受けた部分を修理するため、公使館から出る必要があ
った。煉瓦造りの煙突は全部鉄のパイプと取り換えるこ
とになった。それは芸術的というには程遠いが、ともか
く安全なことは確かである。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 755
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
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