[未校訂]六月二十日
夜中に小さな地震が一度あったが、それは午後二時に
起きたひどく恐ろしい地震の前触れであった。時計、花
瓶、写真を入れた額縁、その他あらゆる種類の装飾品が
床に落ちたうえ、煙突のほとんど全部にひびが入ったの
で、今にも崩れ落ちるのではないかと思った。土蔵も方々
にひび割れした。家中の者が恐怖に[戦|おのの]いて戸外に飛び出
した。庭から見ると建物が前後に揺れ動き、足の下で地
面が持ち上るのが感じられて、本当に恐ろしい思いをし
た。公使館の通訳飯高氏はかなりの年だが、彼は今まで
経験した地震の中で、これは最大の地震だと言う。確か
に私も今までより一番ひどくて恐ろしい地震だと思っ
た。呉家の煙突が崩れ落ちたという話である。呉〔啓太〕
氏は外務省の秘書官で、私たちのほぼ向かい側に住んで
いる。午後P氏が来訪して、クラブ〔鹿鳴館〕で恐ろしい
災害があったという話をした。あとで私が馬車でそこま
で行くと、車寄せの屋根が完全に崩れ落ちて、男二人と
馬二頭がその下敷になり、一人が即死したということだ
った(1)。この地震は一八五四年〔安政元年十一月四日の大地
震〕以来の最大の地震であり、蒙った損害は甚大なもの
で、現在までに聞いた話では少なくとも死者五〇人、負
傷者は極めて多数に上るとのことである。
私の使っていたベルギー人の女中はそのとき二階にい
た唯一の人間だったが、すっかり慌ててしまって、恐怖
で逆上のあまり、二階の窓から下へ飛び降りてしまった。
天の助けか彼女は屋根の突き出した破風の上で止ったの
で、私たちはロープを使って半分気を失った娘を無事引
き上げることができた。
そのあとで、フランシス夫人がその当時病床に臥せっ
ていたことを知っていたので、見舞に行った。米国教会
の翼廊の一つが完全に壊れ、築地のある学校が全部倒壊
して、教師が一人死んだ。彼は難を逃れようとして外に
飛び出したのである(2)。市内のその地域で満足な状態が残
っている家は一軒もなかったし、煙突も同様だった。多
くの通りはまるで砲撃に遭ったような有様だった。フラ
ンシス氏は夫人を急いでベッドから抱き起こして一階ま
で運んだので、危うく夫人の命を助けることができた。
すぐそのあとで煙突が彼女のベッドの上に崩れ落ちたの
である。ドイツ公使館はひどく損傷したので、取り壊さ
なければならないだろう。グートシュミット男爵の美し
いガラス器や陶器も全部壊れてしまった。もちろん骨董
類も同様だった。イタリア公使館は一部壊れ、ロシア公
使館の一部も損傷を免れなかった。オランダ公使館は全
体にひびが入り、公使のピラント伯爵は立派なブロンズ
像を多数失った。サー・ハリー・バークスが建てた英国
公使館の塔も崩れ落ちた。イタリア公使館にあったデ・
マルティノ氏の極めて貴重な花瓶が、壁に針金で止めて
あったにもかかわらず壊れてしまった。私たち自身につ
いて言えば、誠に幸運にも難を免れることができた。お
そらくそれは建物の周りが林であったせいだと思われ
る。これは大へんに珍しい例だったらしい。重い時計だ
とかその他のものが床に落ちたが、壊れたものは地下室
においてあった古いビールの空瓶だけだった。高いマン
トルピースの上から落ちたブロンズの時計を拾い上げて
みると、何事もなく動いていた。
続いてもう二回震動があったが、一度目は午後四時半
に起きた。ちょうどそのとき私は着換えの最中だったの
で、僅かなものを身に纏っただけで庭に駈け出し、その
あとを女中が裸の肩を覆うショール代りにタオルを手に
摑んで追ってきた。二度目の揺れは午後九時半に起きた。
何度も揺れがくる恐れがあったし、家そのものが安全な
避難場所とは言えないので、その夜は多くの人々が野宿
をした。芝の小さな英国教会は完全に壊れてしまったの
で、新しく建て直さなければならないだろう(3)。
(1) 鹿鳴館の建物は地震のため使用上危険の恐れがあ
ることが分ったので、同年十一月華族会館に払い下げ
られて、設計者コンダーが依頼されて修復し、明治三十
一年二月に修築が完了した。
(2) 築地の立教大学校の舎監玉置角之助が、倒壊した
煉瓦と石の下敷になって即死した。
(3) 英国聖公会の聖アンデレ教会は地震で全壊した
が、翌二十八年木造の聖堂が再建され、関東大震災にも
堪え残ってきたが、戦火に遇って焼失した。昭和二十四
年、現在の姿に再建された。
六月二十六日
次のような話を聞いた。二十日の大地震のとき私たち
の友人のある紳士が風呂に入っていた。彼は慌てて外
の通りに飛び出したが、身につけていたものはシルク
ハットと散歩用の杖と片眼鏡だけだったそうだ。
七月一日
地震に関連した話がもう一つある。横浜のグランド・
ホテルに泊っていた年寄りのA嬢ら二人が、真昼の暑
さの最中に極端な薄着を纏っていただけで昼寝をして
いた。二人は海岸通りに飛び出して、人力車の中に避難
したが、幌をかけて膝掛けを首まで引き上げ、誰が何と
言おうと一日中そこにいると言い張り、夜遅くまで頑
張っていたそうである。