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項目 内容
ID J2901986
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1894/06/20
和暦 明治二十七年六月二十日
綱文 明治二十七年六月二十日(一八九四)〔横浜・東京〕
書名 〔阿部家家扶日記〕○東京麻布霞町 阿部正靖氏蔵学習院大学史料館、マイクロ92-No.589
本文
[未校訂]六月廿日晴
一、本日午後二時過頃非常之地震ニテ一時ハ家屋も惣潰
ニも相成カト思ふ程之強震、奥様御初メ御庭へ御出可
被相成(從四位様御□)其内ニ鎮り御無難恐悦申上候
□(ノド読めず)或御庭石燈篭一二本ヲ□(ノド読めず)相済右ニ付旧藩
士及び御出入之者等追〻御見舞トシテ相伺候事(後略
見舞のこと)
六月廿一日
一、昨日之強震ニ而浅草西福寺御歴代様其外各御廟為見
分□(人名)相越候処少しツヽ御損しハ有之候得共為差大
損シハ無之事
六月廿二日晴
一、奥様午後三時過ゟ飯倉片町相良様御□内未□正心院
様江入候処五時頃御帰り被遊候事
一、荏原郡池上本門寺ヨリ当廿日強震ニ付御墓所御損有
之候ニ付至急御見分被下度旨書状ヲ以テ申し来ル
六月廿三日
一、強震ニ付池上本門寺御墓所見分トシテ宇津木午後ヨ
リ罷越候御墓御損し相成候付御取調之上御手入可相成
候事
一、西園寺様へ地震ニ付御使相勤候事
六月廿八日
一、浅草西福寺御墓所先頃中ヨリ御手入之場所直し候処
猶此程之強震ニテ御損シ之場所御手入ニ付当町石職人
進藤長右衛門召連森氏同所江罷越取調書付差出候様申
付置候事
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 749
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 麻布【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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