[未校訂]十月七日 木曜
昨夜、初めて本当の地震を経験した。午後の六時半だ
った。私たちは皆食堂に集り、祈禱会の始まるのを待っ
ていて、祈禱会に出たいという一人の人が入って来たと
ころだった。小野さんは、讃美歌集の中のある古い曲を
たどたどしく練習しており、ウィリイは客間でオルガン
を弾いていた。父とアディは二階にいて、母はちょうど
二階へ行こうとしていた。私は本を読み、富田さんの奥
様は私のそばに立っていて、祈禱会に来たその若い日本
人に話しかけていた。シズ、ヒロ、有祐、セイキチは皿
を洗っており、富田さんの若いいとこの[盛|さかり](杉田玄端五
男)は、テーブルの所でおしゃべりをしているという、
全く気持のよい家庭的な光景だった。
その時突然、家全体が土台から揺さぶられるように思
え、垂木はきしみ、みんな揺り篭のように揺れた。私は
余りにもびっくりして、最後の審判の日が本当に来たの
かと思った。血は凍り、心臓は止まったようだったが、
私はじっと立っていた。すると富田さんの奥様が、私の
手をつかまえて、玄関の方へ引っ張って行って下さった
が、家の中にいた日本人は皆玄関へ走っていた。私がほ
とんど何が何だかわからないでいる中に、奥様は「この
家はとても丈夫なのよ」とおっしゃった。
一家中が戸のそばに集って、次の揺れを待った。地震
はたっぷり一分〈普通より長く〉続き、その間に私は、
今まで経験したことがないほどいろいろのことを感じ
た。もしある声が[畏|おそ]ろしい調子で、「今宵汝の魂をもらい
たい」と言ったとしても、とてもこれ程には恐ろしく厳
粛なものではなかっただろう。私が落ち着いて最初に考
えたことは、「神様が守って下さるだろう」ということだ
った。すると私の心臓の狂ったような鼓動は止った。そ
れから二階にいる人たちのことを思い出して、二階へ行
こうとしたら二階の人たちが出て来た。そこで、又揺れ
ない中にランプで照らしてあげたら、と提案した。しか
しもうそれ以上揺れは来なかった。かわいそうに、小さ
なアディは半ば死ぬほど驚き、心臓は激しく鼓動し、手
は恐怖で氷のように冷たかった。父は今までになく素早
く行動したようだった。
しばらく次の揺れを待ったが来なかったので、ようや
く私たちは食堂へ戻った。こんなことに慣れている日本
人は、日本では一年中ほとんどいつも、このような天変
地異に見舞われているが、昨夜のような激しい地震は、
余りないと言っていた。大体は一年に六度ぐらい、それ
も非常に小さいのだけだという。二十年前大きな地震が
東京にあって、たくさんの人が死に、多数の家が倒れた
という。外国の家が倒れたのを聞いたことがないが、日
本の家は一般にきゃしゃに建てられているからだろう。
激しい地震の時は、落ちてくる材木や壁をよけるため、
すぐ戸口から外へ逃げ出すのが一番だそうだ。