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項目 内容
ID J2901330
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1859/11/15
和暦 安政六年十月二十一日
綱文 安政六年十月二十一日(一八五九・一一・一五)
書名 〔塵壷―河井継之助日記〕○熊本S49・8・28平凡社発行
本文
[未校訂](前略)
「御察し通り繁用にて、夜分とても[暇|ママ]入り多し」
と云われし故、予云う、
「然らば、山田の御返事を願う」
と云いければ、直に其の座にて[認|したた]めらる。右、書状認め
中、
「地震か」
と、弐度まで筆を[止|とどめ]らる。我れ更に[覚|おぼえ]なく、只、答もせ
ず居る。如何なる心持か、其の人、温和、丁寧真卒、更
に儒者らしくなく、始めて会いたる人の様に之れ無く、
実に百日か半年も随て見度く思いける。如何にも実学ら
しき人なり。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 641
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 熊本
市区町村 熊本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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