[未校訂] 嘉永七年(安政元年一八五四)六月十四日夜九ツ時から翌十五日
の朝にかけて、近畿地方の南部を中心に大地震が起き、
大和をはじめ伊賀・伊勢三国に大被害が出た。大和では
奈良・郡山・古市に大きな被害があり、奈良では三〇〇
~五〇〇軒が全壊、数百人の死者が、郡山では五〇軒が
倒壊、一〇〇人を越える死者があった。また古市では東
方の平尾池の堤が切れて六〇人余が死んだ。
前掲「古今吉凶幷心得記帳」によると、安政元年(一
八五四)の条に、
大豊作、和州なら(奈良)、郡山、立(竜)田、法隆寺近村、東海道荒井
関所たおれ、駿州江尻たおれる事夥シ、江戸諸国大地震ニ
而誠ニ恐敷事ニ候、六月十四日也、
尚又十一月四日大地震、堺・大坂大津浪(波)ニ而人死候事夥シ
とみえる。