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項目 内容
ID J2901002
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔大地震ニ付豊浦明神様御つげ〕天理大学附属天理図書館蔵一六三―三―近五四―一豊浦村吉田家旧蔵
本文
[未校訂]当六月十三日昼午之刻ゟ七日間大地震ニ付豊浦之正内明
神様御差図被遊候義ハ前十三日ゟ来ル廿日七ッ時限リニは
九死一生火のなみだこぼれるト□□(カスレ)右之刻限ニ御座候
併大地震之義ハ日本六十余洲万民之人相閑(ママ、関カ)るかたちに御
座候一大事之義故差図之義ハ当十六日四ッ時御差図被遊
右ニ付産所ハ同刻ゟ来ル廿日昼七ッ時迠米穀御□も食物之
儀は決而相用ひ候事ハ相成不申候右□□地面うごき候次
第人体多くすたる様子ニ御座候能々倚神いたし候ハ、自然
薄キ候様御差図被遊候右ニ付当十八日夜七ッ時ニ東丑寅ノ
方ヘ御出まし被遊候星様御名はせ(カ)きよふ星ト相唱ヘ右夜
ゟ七日之間能々御心信被成候ハ、右之わざわいまぬかる
様神様仰被遊候
右之由は嘉永七寅年六月大地震ニ付大和国豊浦明神様之御つけ
□♠拾♠拾
右五字は大地震之節如此諸男女共ニ頭ニくゝり付守ニ居リ候て凶事無之トノ仰
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 427
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 天理【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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