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項目 内容
ID J2900987
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔公文所引付安政五年〕○奈良薬師寺文書第二九ノ九函第八号
本文
[未校訂](一月十日の条)
一、文殊堂近年大地震ニ角柱四本共大斗はづれ壁等及大
破候ニ付致修覆候間南都北袋町手伝かんてき平八呼ニ
遣し為相積候所左ニ
右柱傾斜直し南北之壁付替共惣繕イ致し工数四十人手
間代銀百弐拾目ニ而受負仕候旨申居候ニ付一山江披露
致候処右受負後半□中旨一聞ニ付今日平八方へ人遣
し申候事
一、文殊堂修覆之儀諸入用銀拙院手取ニ被仰付被下度旨
都史陀院ゟ被申出候尤当分ハ公物ゟ銀子御取替置被下
度冬分ニ到り於浪華御請組替之上銀子相納可申旨聴定
候真以御寄特之旨山衆一統致感㐂候
(一月十二日の条)
一、文殊堂角柱直し之儀かんてき平八江申付今日ゟ作事
為取懸申候
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 394
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 奈良【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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