[未校訂](嘉永七年六月十四日の条)
一、昨十三日九ッ前少々大なる地震有之猶亦八ッ過以前ニ
少々小地震有之此日昼九ッ前ゟ夕迠ニ不相覚様之小地
震都合五度震ひ申候事
一、今夜九ッ過八ッ頃大地震拙院戸障子皆ねじれ或ハはづ
れ其音誠ニおそろしく眼をさまし蚊帳之内ゟ行灯を提
ゲ出んとするバ大ゆりきへ候故行灯の引出ニ有之燧打
より平日用意いたし置候枕元の提灯ニ灯ともし小児を
起し直様大ぶろしきにめし櫃茶碗はしろうそく七八丁
銀札銭杯を入又袋ニは白米四五升入鎌壱丁むしろ壱枚
右之品おほこうニて荷ひ庫裏之東側之出口ヘにげ出候
処最早東手の味噌部屋倒れ申候但し東之土へ江□□いり候也早々藪ノ
中ヘ迯込申候夫ゟ夜明迠始終ゆら〳〵いたしゆり通し
て或ハ西戌亥之方ゟ鳴り来るとかいへと実は丑寅之方
ゟ大筒ノ鉄砲を打如く初ニどんと鳴と否哉ごう〳〵と
大鳴いたし候と思へバゆり申候五条村辺ニて者共ハ皆
北之大門向ふの路中へ出夜通し致居候
十五日 未明又候大地震夜八ツ時之地震とは少し小なるよし此時人々起て
居り候故誠ニ厳敷覚ヘ候薮之中とても尻ゟ躍り上り候
様ニ覚ヘ竹などゆり候て地ニ付候程ニ候薮之ふちゟ□(旁カ)寺
之庫裏を□メ候得ば今ニも倒れ候様覚ヘ候五条辺之者
途上ニて皆々念佛を唱居候薮之中ニ鳥も居不申候とミ
へてなき声無之田中ニも蛙も鳴不申候夫ゟ烟草壱ふく
吸とゆり又ゆり〳〵又ゆり今夕迠地震数不知其度毎ニ
丑寅之方ゟ鳴来リ候
一、伽藍寺院在家など夜前之大地震ニ顚倒し或ハ破損有之
候処今暁之地震ニ多くハ顚倒いたし候
伽藍寺院顚倒或ハ破損所左ニ
一八幡宮樓門 南之御廊 北之御廊 西ヘ顚倒
(注、図は後出と同じにつき省略)
御廊棟銘ニ 顚倒以前写し置今茲へ記之
文禄五年丙申十月廿二日奉行衆棟梁
唐院 高懐 福蔵院堯宗宝積院 光弘 養勝院尊胤
大工棟梁右衛門五郎孫四郎大工衆与四良 右衛門四郎 彦七郎右衛門 久蔵甚九良 彦六 彦四郎
當年閏七月十二日夜依大地震令顚倒間造営畢
此文禄五年ハ即慶長元年世至マデ 今嘉永七甲寅年
所歴二百五十九年
一、御本社は御無事
一、同所御瑞籬中門共西へ大半傾き候へど地ニ付不申候
事
一、荘厳かり屋丑寅之方へゆがみ申候 同門は転倒(朱
字で)梁行壱間半桁行弐間、
(挿入)公儀へ書上ニハ御供所と唱へ候
一、塔四重目ゟ九輪共東南へ余程相傾き申候
但九輪は元ゟ辰巳之方ヘ少しゆがみ有之候処此度大ニ
ゆがむ
一、東禅院堂所々壁落厨子中之東之柱弐本共ぬけ上り観
音様ハ御厨子之うしろへもたれ給ふ
一、金堂東之御脇士之後光惣金はづれうしろの壁へもた
れ給ふ三尊は無恙十二神四体後ロへもたれ給ふのみ
一、講堂御本尊うしろの壁へもたれ給ふ
一、大工小屋西側之小屋顚倒
一、西院北之表門 延寿院門 同路次門 寿命院門 観
蔵院屛次門 井戸屋形 〆六ヶ所 顚倒
一、承仕西之坊門 同土蔵顚倒
一、世尊院客殿顚倒
一、地蔵院門 同納屋顚倒
一、一山米蔵之門顚倒
一、金蔵院門 同納屋顚倒
一、御朱印蔵北手之大壁落候
一、慈恩院中門顚倒
一、法福院土蔵ねじれ大半こけ申候
一、宝積院味噌部屋顚倒 同表門の戸ぐり顚倒
一、法光院表門顚倒
一、領下ハ人家壱箇所倒れ候のみ
一、此度大地震一番之荒れは越前之福井なりとぞ
卅弐万石之城下此地ゟ北丑寅ニ当ル此先寅□十三日四ッ時ゟ火事二日以
前ゟ火事之所へ右之大地震ニて猶更烈敷壱里四方ニて
釜土数弐万五千余焼失死人怪我人数不知
但し誰ニ聞候ても此所ハ壱番之荒也尤同夜同刻震ふ十五日四ツ時ゟ大雷大雨
一、江州彦根此地ヨリ北丑寅同夜同刻震ふ城崩れ落町家之顚倒死
人怪家人推而知べし
一、伊賀上野此地ヨリ東同夜同刻震ふ城の大手崩れ落る町家
は六分通り倒れ候由人損し千人余
一、伊勢之津の城崩れ落る
一、伊勢之古市遊女屋地震半ニ遊女の分(ママ)を土蔵の中へ□
込メ置候処地震ニて火事依て遊女弐拾人余土蔵ニて蒸
セ焼ケニ相成候由
一、伊勢津の城崩れ落候由
一、四日市地震半ニ夜四ツ時ゟ出火人損多し
一、江州瀬々(膳所)之城角矢倉北之海中へ倒込候由
一、山州淀之城処々崩れ落候由
右は郡山領葛下郡築山村金物屋茂兵へと申ものはなしき
此所は京物木綿問屋米屋米善杯と申して国商人多く出て
諸国へ参り居候処皆々身振ひして迯ゲ帰るとぞ
一、興福寺之築地は大和大納言様之御国辺ニて四町四方
之内三方は築地三四拾斗丁之間十か八九ハ倒れ候
一、なら一條院御宮□□之近所ニ地さけ穴明き候所へ壱間
計リの竹を試ニ突込候へど中々底へハ届き不申候趣な
と三条閣(カ)扇屋新八はなしき
一、大和古市ハ弐百間斗りも家数有之候処拾三間斗り残
り餘は皆倒れ申候人の柱ニうたれ候処へ古市之辻ニ池
三ッある其堤ミ一度ニ切れ多ハ水ニて死し候由此内壱ツ
□池ハ昨丑年の旱魃ニ新ニ掘候所石棺出其中ニ鎧太刀
色々□□之物ニて候或♠金も沢山ニ有之由此等不残藤□家ヘ相納リ候
由此□ニてや同じ大和之内ニても荒れ別而烈敷之様子
いたし候役人之向ハ不残柱ニ打タれ即死之由尤家中三拾
五間之内弐拾四五人溺死御奉行と子息ハたすかり女房
ハ懐妊之所柱ニ打タれ腸裂け赤子飛出候由夫故御奉行ハ
こうしていられぬ杯と口はしり夕方ゟ帯刀ニて所々駈
廻り候由今十六日十七日ニ葬式六十三明ル日とも都合
八拾二三有之とぞ
一、忍辱山の寺ハ壱宇も不残顚倒百姓屋ハ壱丁程下ニ有之
下タハ皆岩ニて雪隠も不倒候由寺とハ大ニ相違也
一加(カ)之村ハ百五六十間も有之所雪隠壱ヶ所も倒れ不申そ
うらいしがある大家の□ど筵弐百枚斗りもしけ候所地
所々裂け其破れ目ゟ十五六日頃の地震ニハ青き火出る
由上村之者はなしき
一北之庄村ハ棟弐十五倒れ稲小屋倒るゝ事夥し
一初瀬多武の峯ハ甚タ穩かなるよし初瀬中ニて灯爐壱本
倒候趣彼寺の能満院のいわれし窪田村治郎兵へはなし
き(二項略)
一河州八尾近在満願寺村地面ニ今度之地震ニ而地裂け[□|力タチ]
井戸社□く其穴より掘出其所へ手を沒し候得ハ手の□
けか痛に□なる与申(カ) 右□治□兵へ役所へ参リ候□
物商人ニ聞取候由
一山州木津□町□と申家の庫裏の地裂け砂々水々吹出
し候由此レハ十四日夜大地震の後□□村□衛門
はなし候由