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項目 内容
ID J2900722
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔本藩明実録・本藩事実集下〕○弘前H16・3・31「みちのく双書47」青森県文化財保護協会発行
本文
[未校訂](五年十二月二十日の条)
庄内辺ゟ先ハ大地震和輪(ママ)ニて海水一里余も引、夕七半時
頃沖之方真赤ニ相成、山の如き大浪押来、三枚之大浪ニ而
二三百石之船も一里余山手へ押上、逃る暇も無之、死亡
人不少由、為登之節道中ニ而御国他散之者ニ逢、今程ハ如
何と案し罷下候所、越後村上ニ而御国表穏ニ而常芝居有之
旨承、初ニ安堵仕罷下、越後庄内秋田ニ而ハ御国之評判至而
宜ク御座候、右源蔵大晦日ニ着 道中筋と違格別御静謐
別世界之様ニ而誠ニ難有御事奉存候旨
右之通鍵屋源蔵相尋相記候内抜出ニ御座候
正月四日
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 296
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 弘前【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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