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項目 内容
ID J2900145
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1683/06/17
和暦 天和三年五月二十三日
綱文 天和三年五月二十三日(一六八三・六・一七)〔日光〕
書名 〔御当代記〕○江戸戸田茂睡著 平凡社 H10・11・11発行
本文
[未校訂]一五月廿三日、日光山(追筆)「大」地震、廿四日、同(追筆)「大」地
震、右ハ十七日よりゆりはじまると云々(3)
(欄外追筆)「此地震にて御宝塔の笠石おち七ツニくだけ、石燈籠ヲ
ミな地へゆりこみ、石垣不残くづれ申候、但御橋より
外ハゆらず」(3) 日光の地震は、『常憲院贈大相国公実紀』『徳川実
紀』によると、すでに家光法事以前の四月五日にはじ
まり、五月に頻発して二十四日には多くの施設倒壊
をみた。綱吉晩年の江戸大地震などが、ここで予測さ
れるわけはないが、将軍日光社参がないままの法事
と関連づけての世評はあったかもしれない。
一同二十五日、日光大洪水にて[大谷|たいや]川まし、御橋のらん
かん迄水つく、八間ほど水かさ増る也、(追筆)「是ハ五月大地
震ニテ山くづれ、谷ヲ埋申故、流の水留リ、大キナル
池トナリ候ニ、六月霖雨ニ水ツヨクセキ留タル所ヲ押
切タ□(ルカ)ゆ□(えカ)」 (以下追筆は欄外になる)「[于今|いまに]至て御橋の下七間余の水の流大洪
水ヨリ不引、橋ヨリひしゃくニて水ヲ汲程也、下乗の
橋ハひた〳〵水也、是ハ谷のくづれの石土、大ヤ川ヘ
流落テ、七間ほども御橋より下段々に高くなりたるゆ
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 93
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
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