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項目 内容
ID J2900076
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道・諸国〕
書名 〔寬政重修諸家譜〕五百三十四遠藤
本文
[未校訂][常緣|つねより]左近將監或稱左近大夫 下野守 號畫錦居士
[元胤|もとたね]左近大夫 下野守 野田を稱しのち東にあらたむ
[常慶|つねよし]左近大夫 下野守
東常緣ノ曾
孫常堯
[常堯|つねたか] 七郞
永祿二年郡上(美濃郡上郡)にをいて盛數と戰ひ敗走し、飛驒國白河におもむき、内嶋兵庫頭氏理
氏理ト共ニ
死ス
かもとに住す、天正十三年十一月二十九日彼地にをいて死す、
[盛數|もりかす] 六郞左衞門 實は遠藤新兵衞胤好か子なり
永祿二年常慶か嫡子常堯年來不道の行あるにより、家臣及ひ郡中の者みなこれを疎
常堯ハ義弟
盛數ニ追ハ
レ白川ニ在

む、これによりて常慶常堯を廢し、聟盛數をして家繼しめむことを議す、常堯これ
をうらみ、兵をもつて強て家督を繼むとす、盛數常慶か命をうけて常堯を攻、常堯
戰ひ負て飛驒國白河に走る、これより盛數常慶か養子となりて家を繼、○下略
女子 盛數か妻
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 69
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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