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項目 内容
ID J2801289
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1882/07/25
和暦 明治十五年七月二十五日
綱文 明治十五年七月二十五日(一八八二)〔沖縄〕
書名 〔一八八二(明治十五)年七月二十五日沖縄島南部被害地震関係史料解題〕森宣雄・加藤祐三著「琉球大学理工学部紀要 第六二号(一九九六)」
本文
[未校訂](時事新報)一八八二年八月十五日付
○沖縄大地震 去月廿四日夜十二時過と覚しき頃より沖
縄県にて大に地震し 翌日午前四時頃まで打続て 或は
大く或は少く寸時も息む事なく それが為めに那覇港中
石塀の崩壊する所百廿四ヶ所にして 其外裏手通など調
ぶる時は殆んど其数を知る可らず 幸ひ夜中にして途上
を通行するものなく 随[したがっ]て怪我のなかりし
は僥倖[さいわい]といふべし 同日午前九時又震す こ
は前夜に比すれば稍[やや]少なかりしかども亦石塀の
倒れしヶ所数多あり 同日午后二時赤竜丸出帆せしに依
り其後は知ざりしが 同地の故老に聞くに近来になき大
地震なりしと云へり (鹿児島新聞)
(東京横浜毎日新聞)一八八二年八月十五日付
○去月廿四日夜十二時過と覚しき頃より沖縄県にて大に
地震し 翌日午前四時頃まで打続て 或は大く或は少く
寸時も息む事なく それが為めに那覇港中石塀の崩壊す
る所百二十四ケ所にして 其外裏手通など調ぶる時は殆
んど其数を知る可らず 幸ひ夜中にして途上を通行する
ものなく 随て怪我のなかりしは僥倖といふべし 同日
午前九時又震す こは前夜に比すれば稍少なかりしかど
も亦石塀の倒れしケ所数多ありしと鹿児島新聞に見ゆ
(郵便報知新聞)一八八二年八月十六日付
○沖縄県下那覇港にて去月廿四日の夜十二時過より翌日
午前四時頃まで打続き余程手強き地震あり それが為め
同港中石塀の崩壊するもの百廿四ケ所にして其外裏手通
など調ぶれば枚挙に遑[いとま]あらず 然れども人畜
に怪我のなかりしは僥倖なりしと 又廿五日午後九時頃
にも地震せしが 前夜に比すれば稍軽かりしも 同地に
ては近来珍らし
(申報)一八八二年八月二十七日付
(光緒八年七月十四日付)
○琉球地震
 日本新設之沖縄県即琉球国也。其地四面臨海、故常多
地震之患。前月二十四日晩十二点鐘時、地忽大震、歴時
甚久。計、那覇港被震坤塌石堀百二十余処。次日九点鐘
又震。較上夜略軽、亦震塌石堀数処。幸人民尚無損傷耳。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 515
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 沖縄
市区町村 那覇【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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