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項目 内容
ID J2801135
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1859/10/04
和暦 安政六年九月九日
綱文 安政六年九月九日(一八五九・一〇・四)〔石見・安芸〕
書名 〔嘉永始續年代記〕○広島県加計町広島県立文書館複製資料P32-2 井上家文書A51
本文
[未校訂]一同(九月)九日四ツ刻大地震夫より小地震数不知
十日ハ小地震同夜も数々ゆり、十一月朝ハ格別茂無之
少々ゆり候処四ツ八歩前頃又大地震アり今度ハ去ル寅
十一月五日之地震ゟも去十二月二日分ゟも強く而ふと
く是迄此辺ニてハ聞伝不申手前損所次第去十二月□□
後□築地ぬけ当春直し候処又其所ぬけ内蔵下も平土
厚サ三寸ほとばけ落チ前蔵も堅ニひゞき入り其外いたミ前
大築地ハ先別条無之様見ヘ候得共所々はセ石落井手之
所石積之止リ付キゟ上り響われ小廻道一所水道ノ上ヘ
崩レ其外小河内辺畑築地菊谷廻リ築地数ケ所ぬけ損し
申候かんかけ始諸山瀧石崩ル音おひたゝしき事也門之
下ヘ者角ヘ小屋ヲかけ又大地震之節ハ家内之火ヲ消シ
出候積リ也十一日夕少シ間合有之同夜も小地震少々有
リ格別之事無之十二日朝五ツ前ヘ少々ゆり申候去ル九
日御番組様御紙面参リ大(浅野慶熾)光院様御忌日殊ニ当年御一圓
忌御正当ニ付郡中定例九日祭礼十日迠両日用捨可仕旨
被仰付十日之義ハ如此大御忌ニ候処地震有之御城下之
様子未聢与相聞ヘ不申候得共定而混雑可仕哉与恐多奉
存候此度地震専此辺強ク可有之哉ニ愚考致シ候且此辺
瀧山其外諸山ヘ栗ひらい多分入込み候処大石□(呑く)れ候
故扨々恐敷少々ハ怪我人も出来申候十六日夜又大地震
所ニ寄りかい路等ヘ大石落チる也十月九日ハ大光院様
御忌日ニ付祭日延ひ候処又十九日も当殿様御親君右京
様御忌日ニ被為当候故是又用捨仕候様被仰付殿中ニお
ゐて九日十日十九日右三日ニ相当候祭礼不残日替エ申
上候様被仰付辻々□原下地八日ゟ九日祭七日ゟ八日ニ
相成リ津なミ村九日祭ハ廿三日ニ差延其外村々替日相
約メ申上候事
十月朔日二日頃麦蒔最中之処雨天ニ付差延ひ申候此節
迠も折々地震あり尤小ゆりや
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 495
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
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