[未校訂]○安政の大地震
一安政元年六月十三日夜藩主の菩提所縁心寺失火して全
焼したり
同月十四日暁八ツ時地大に震ふ城壁石垣其他矢倉多門等
大破し帯郭の角櫓顚倒して湖中に落たり當日の宿直は中
小姓中野梅太郎(後ち幸民と改む)生年十六歳なりき幸
に生命恙なきを得て今尚矍鑠たり余と同庚なり家中の土
塀も大半崩潰して諸家皆な難を近傍の薮中に避け露宿し
て夜の明るを竢てり諸士は匆々登城して藩主の安否を伺
ふ等人心恟々たりし
按するに帯郭は中小姓本丸は馬廻の者をして當直せし
む而も老朽事に堪ざる歟若くは少年の新参さなくは愚
物の三者を驅て此要衝に當らしむ本丸の一郭は松杉其
他の老木大樹蓊鬱として蓁莽人を塡め晝尚ほ陰く狐狸
の巣窟たり時としては宿直の彼に魅せらるゝものあり
といふ因て此に宿直するを狸番と呼たりし余も震後の
朝選ばれて本丸番の補缺(老朽の代り)に充られたり
茲に略圖を掲けて其位置を示すことゝす夫れ本丸帯郭
の常備は老少愚の三者を以て組織せられたるにも拘は
らす本丸番は即ち二の丸との聯絡を取る城門の鎮鑰を
握れる大任なり帯郭番は即ち本丸の哨堡にして遠見番
所たる責任あり因て日常十匁筒と火藥を備え置き若し
湖邊百間杭以内に於て遊舟を泛へ或は捕漁を爲すもの
ある時は空砲を放つて之を警しめ杭外に去らしむるを
例とす
廊下橋は本丸と二の丸の間に架したる細殿形の刎橋に
して外より之を望めば[粉堞|しらかべ]に[懸眼|様]を穿ちありて城壁と
異なるなし而して橋下は舟を通すへく籠城の時は其橋
板を撤却して二の丸本丸の聯絡を絶つことを獲へき構
造なりし此城郭にして今存せしならは江州の景物とし
て將た兵家の考證として無量の興味あるへきに維新の
際むざと毀ちしは最も残念なることどもなり
イ本丸番所ロ帯郭番所ハ廊下橋ニ廊下橋番所
ホ丸本門ヘ水門ト濠チ湖水リ百間杭ヌ城壁