[未校訂](三月)
廿四日晴 (中略)此夜屢地震是より連日なり
(四月)
十九日 陰(中略)去頃は地震にて北国ゟ中山道江出す
る道筋来往停れるといふ事を聞り
廿一日 晴孝文漫記六七八巻成○北国筋再大地震也と聞
廿三日 陰(中略)
○去月(三月)廿九日朝同晦日夕三度大地震信州松本辺也□領
更恙なし松本領虚空蔵山崩五ヶ村壓され人死有之事夥
し高二万石計湛水八九丈犀川川上也
○廿四日善光寺にて死する事参詣の者二千余人地元之者
三千餘人以上五千餘死せしと云○信州大変ニ付御勘
定弐人出張せし由
廿五日 雨巳上刻地震暫大 雨甚日暮尤迅
(五月)
三日霽(中略)
○三月廿四善光寺大変の事全戸隠明神の崇ならむといふ
説を聞り其濫觴を聞に是より先信濃寺幸貫眞田氏□戸隠
神領と地論を起し如何故(カ)歟三千五百石程彼神領を真田
押領せり尤公裁の上爰を以神官の少斗武威盛して神威の衰
るを歎き神主某一命を奉て断食し神威の□□事を願ひ
しに満願の日則廿四日也に当りて大地震動し真田領のみ騒
動成事いわん方なく神領と松本領の境なる山半分に分
裂し松本領に落入犀川丹波川堰留蕩々たる洪水人屋を
流し四月廿三日迠湛て人馬尽に□とすされは他領ハ更
ニ障事なく静謐なり爰を以幸貫諸神に祈誓をかけしに
廿三日夜大雷のことく響て何れへか水去ぬ是は神思難
在しと思ふ所江又水の入らさりし松本領へ廿四日の天
気晴れたりしに何国なりや大水涌出て人ら死する事夥
しき嫡子豊後守幸栄率ぬと彼家栄を語れり
八日 晴(中略)○戌刻地少震
(七月)
十五日雨去月三度地震して信州の地過半震潰
六月三日同十二日同廿二日善光寺如来も西信州の内へ遷座し給ふ
と聞り