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項目 内容
ID J2800044
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/01
和暦 文禄五年閏七月九日
綱文 慶長元年閏七月九日(一五九六・九・一)〔豊後〕
書名 〔附東槎録〕共同通信社小池真一氏提供朝鮮の副使によるもの。正使による「東槎録」は別にあるとのこと、写本
本文
[未校訂]閏八月(和暦の八月)十二日朝晴夕雨亥時地震黎明発舡行百八十里
許會天驟雨日又昏黒風浪捲帆遂泊宿道母上島々内無盧舎
此地属於備後州自可望介(蒲刈カ)里至此水路一百九十里有一倭来
云豊後州府中閭閻櫛比人物阜盛素稱形勝矣前月初九日
白晝地震淪陥成海萬餘人畜一時淹没當是時也(カ)島主適往京
城免死云(注 以下伏見地震のこと、とくに新しい記述
なく省略)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 33
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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