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項目 内容
ID J2700408
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及びその周辺〕
書名 〔騎西町史 近世資料編〕騎西町史編さん室編S63・12・24 騎西町教育委員会発行
本文
[未校訂]142 安政2(一八五五)・10 地震に付き被害届
(芋茎 小山茂美家蔵 №二五)
 安政二年の大地震は江戸直下型であったため、江戸
では多くの死者が出た。この資料は芋茎村の被害の様
子を伝えたもので、見沼代用水の堤が崩れ落ち、畑に
は割れ目が出来、水が土砂を吹き出し畑を埋めたほか、
二軒の家が半壊したと報告している。
乍恐(おそれながら)以書付御届奉申上候
御知行所武州埼玉郡芋茎村組頭・百姓代一同奉申上候、
当月二日夜四ツ時頃大地震有之、見沼井筋星川通り大堤
六百間余、新堤七百間余之内崩候場所数多出来幷字川棚
耕地御当方様御分畑四町余之内江巾三四尺位ゟ五寸位
迄ニ割数ケ所出来、水土砂吹出し麦作相埋り候間、且又百
姓弥五郎・茂兵衛両人家宅半分斗里被潰、其外家添屋小
(はかり)破ニ相成候間、此段以書付御届奉申上候、以上
(許り)安政二卯年十月
芋茎村
百姓代
組頭 又吉
同 権兵衛
同 源次郎
同名主代重左衛門
御地頭所様
御役人中様
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 741
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 騎西【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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