[未校訂]その他の災害
○安政元年六月十五日
「日本地震史料」によると「伊賀伊勢大和ノ諸国地大
ニ[震|ふる]フ。[就中|なかんづく]伊賀西北部大和東北小部山城南東端近江南
部ヲ包括スル長サ約八里幅約四里の区域ハ震害特ニ甚シ
ク山崩・地割、土地隆起陥没等ヲ生ジタリ、伊賀上野城
大破シ城内ニテ二三百人ノ死者アリ 上野町及ビ其ノ近
村ニテ死者五百九十三人、潰家二千二百五十九戸ヲ算ス
(以下略)」
とあり、震源地は上野付近を東西に走る線と推定され
ている。この地震を安政の大地震とよんでいる(安政に改
元されたのは十一月二十七日だから正確には嘉永七年で
ある)。
本村における地震の模様は、明治三十四年に記述され
た「郷土誌」によると、八一歳の老媼(安政地震当時二四
歳)の話として「六月十四日は山田の祇園祭にて祭礼も済
み楽しく晩餐を喫して寝に就きたり、熟睡せる中、丑刻
(午前二時)ばかりに天柱くだけ地維さけたるが如く大地
震動して家は波に揺らるる船の如く凄ましき物音に目を
驚かされ家出んとすれば足の踏む所を知らず、七転八倒
して辛うじて外に出でたり。人々は竹薮に避難し蚊の鳴
くが如く念仏を唱へ、子供の泣き声と和して最も哀れな
り、しかも十四日より十八日に亘りて絶えず震動を続け
たり」とあり、この地震の激しかった様子を知ることが
できる。しかし、人的・物的にも被害は軽微であったの
か、そうした記録は記されていない。
総戸数の1―100以上潰れたる区域
総戸数の10―100以上潰れたる区域
震 央 (今村博士による)
安政元年6月15日大震々域