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項目 内容
ID J2700184
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)〔小田原〕
書名 〔太平年表録〕茅ケ崎市柳島 藤間雄蔵氏所蔵神奈川県立公文書館
本文
[未校訂]発端
嘉永六癸丑稔春二月初二日晝四ツ時小田原大地震御城内
損所多く御天守傾き市中之倉廩大半頽□□惣して御領分
之山谷鳴動して岸襄くずれ民家こぼち又は地上裂て逃走
つるに方を失し人□を損すもの幾回なるや 中にも□□
権現之社再建していまた荘巖なく□るに転倒す別当最勝
寺庫裏大地へ動□□一山之騒動大方ならす追て社壇を開
山堂之後丘へ転遷するよしきけり されは城主より御領
内を巡行し難民へ御救米金を賜はる然りといへとも震に
輕重あり三浦鎌倉かろし厚木辺所々損しあり 御府内は
損しなし 只今俗に小田原地震と号し去七ヶ年前丁未春
信州善光寺大地震之□□れるよし評番にと戲哥戲作等多
し 其一ツを後證に備ふのミ
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 365
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 茅ヶ崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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