[未校訂]発端
嘉永六癸丑稔春二月初二日晝四ツ時小田原大地震御城内
損所多く御天守傾き市中之倉廩大半頽□□惣して御領分
之山谷鳴動して岸襄くずれ民家こぼち又は地上裂て逃走
つるに方を失し人□を損すもの幾回なるや 中にも□□
権現之社再建していまた荘巖なく□るに転倒す別当最勝
寺庫裏大地へ動□□一山之騒動大方ならす追て社壇を開
山堂之後丘へ転遷するよしきけり されは城主より御領
内を巡行し難民へ御救米金を賜はる然りといへとも震に
輕重あり三浦鎌倉かろし厚木辺所々損しあり 御府内は
損しなし 只今俗に小田原地震と号し去七ヶ年前丁未春
信州善光寺大地震之□□れるよし評番にと戲哥戲作等多
し 其一ツを後證に備ふのミ