[未校訂](年代記)
弘化四丁未年
○当春三月信州大地震第一善光寺之辺大損しといふ郡
数六郡ニ渡り大川山津浪ニ而堰をつきうかひの為ニ川
上村里大難ニ逢梁の上ニ廿日余住居せしものもあり
又者小家古家抔者押流されたる家筆ニ尽しかたし右之
堰を切抜んとして七大名寄合御工夫之内不慮ニ押切
れて川下是かためニ水損せし事広大なり地震中ゆり
崩れ出火所々ニ出来し死失怪我人言語ニ尽しかたし
といへり委しくハ別記ニ留置
○此節善光寺開帳ニ而参詣群集夥敷事ニ而余計ニ人民多
く死すといふ元来開帳之年限ニ者早かりしを坊舎町
家の銭もふけニ初し開帳故御罸ニ而大変出来なりとも
申事なり
○又一説ニ戸隠山九頭龍権現之神領と善光寺辺の領主
と土地論有之候処私領主ハ公儀之御一族ニ而上の御
ひいき有て勝候なりしを神罸ニ而右之大変出来しと
も風聞す