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項目 内容
ID J2700037
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔甲府市史通史編 第二巻近世〕甲府市市史編さん委員会編H4・3・25 甲府市役所発行
本文
[未校訂] これから四年後、宝永四年(一七〇七)には十一月の富
士山噴火に先立って、十月四日東海・南海沖が震源地と
みられる大地震が起こった。東海道以西に大きな被害を
及ぼしたこの地震の甲府における状況は、公的記録とし
て甲府山田町名主の「御用留」にみることができる。早
速町奉行所から被害状況の調査があり、山田町では皆
潰・半潰の家数一四軒を書き上げて、当時の同町の家数
五八軒からすると、全半壊率は二四パーセントであった
ことを示している。城下全体の様子は定かでないが、お
そらくかなりの倒壊家屋を算したであろう。その後も余
震が続いたためであろうが、倒壊による火災防止の上か
ら、火の元に対する注意、名主が各町内の見廻りをきび
しくすること、水籠や手桶に不足しないよう留意するこ
となどの町触がしばしば発せられていた。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 44
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 甲府【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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