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項目 内容
ID J2601403
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1865/12/30
和暦 慶応元年十一月十三日
綱文 慶応元年十一月十三日(一八六五・一二・三〇)
書名 〔能代市史資料 第十八号桧山浄明寺文書法傑日記〕能代市史資料編纂委員会編S63・3・30 能代市教育委員会発行
本文
[未校訂]十三日曇天(中略)
八ツ半時地震。山田お市裸足ニ而逃。母ヒヤリを焼居
候処ニ而有之由ニ而、夫を持なからはたしニ而逃候由。
寺之方ハ余りつよくも無之故、たれもにけす、治代抔
ハ井戸端ニ而不知居候。
十四日、雨天。前夜よりふりやます。御日中大経入斎御
経兼帯。四ツ時御屋敷え御歓ニ罷出候。然ハ上ノはゝ
申ニハ夜前も又候地しんニ而、山田抔ハ大分つよかり
しよし。お岩咄ニ而承候由被申候。四ツ時御屋敷へ御
歓ニ参上序、石川忠助へ歓見舞。扇子壱本。但し弐貫
五百文之品。帰路元適へ見舞。今日市中へ小預り不通
用之事御触有之候ニ付、不残とり集メ小遣とす。尤十
二月廿日限之由。佐太を頼、もち米を才覚、一盃為参。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 318
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 能代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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