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項目 内容
ID J2601322
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1859/01/05
和暦 安政五年十二月二日
綱文 安政五年十二月二日(一八五九・一・五)〔石見〕
書名 〔番頭用人日記〕○石見(安政六年四月十六日の条)一松平右近将監殿領分石見国浜田村々之内去午十一月晦
本文
[未校訂]日辰上刻ゟ地震ニ而十二月二日申下刻迠止間無之度々
震強く場所ニ寄候而は往還裂泥水砂火気等吹出家潰損
家多く田畑筋立破れ用水溝等震埋土面震下ケ山附之田
畑は山土夥敷落込山々崩大小之石転落川々堤欠落山附
之場所雪深ニ而難改候処此節雪解相成遂吟味候処田畑
荒山崩社倉損在屋敷石垣崩潰塀潰家潰人家往還并土手
損水除并用水溝損人馬怪我無之尤城内別条無之損毛高
之儀は追而御届可被申上候旨御用番江御届被差出候段
江戸見坂役人ゟ為御知申来之
但右同断
一(万延二年正月十六日)松平右近将監殿領分石見國村々田方儀植付後雨天勝ニ
而稲□(ムシ)付其上蝗生し候而生立不宜候処五月下旬ゟ
天気順宜立直し可也之作方ニ可相成模様之処七月中旬
悪風相障去々冬以来度々之地震ニ而其上美作国村々七
月中烈風ニ而損シ実入不宜追々収納ニ至り高壱万六千
弐百九拾三石四斗損毛之段御用番江御届差出候旨江戸見坂役人より為御知申来之
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 303
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 浜田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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