[未校訂](注、「史料」第三巻三二八頁上6を削、上5と7の間に
入れる)
[二]過し京震の沙汰も、時立ぬれば復云ふ者なし。近
頃二条大番の人の実記を示す者あり。総じて彼地大震の
説、人毎の言ところ各一ならずと雖ども、其言ふ所皆真
ならざるはなし。蓋し蒼皇狼狽の際、人人其畏怖の状を
憶識して録せし者なり。
甲寅地震記
(巻三十八)
[二]丁酉九月、京下り摂家の〔二条公、近衛公〕方方、
上野へ登山あるを観ん迚、広小路なる古筆了伴が家に休
ひて云云しける間、主人と話せし中、耳目に留りしを書
つく。
〓先年京都大地震のとき、亡父了意は未だ存命にて在京
してけるに、折ふし客対してゐたるとき、軒前なる巨石
の手水鉢に湛へし水、[俄|ニハカ]に一二尺も[騰|アガル]と見しが、次で
地[動|ユ〓]いでゝ、[大震|オホユリ]となれり。[夫|それ]より考ふれば、水の騰り
しと覚へしは、地の下に[陥|オチ]入たるなりとぞ。