[未校訂] 当地方に残る地震の記録でもっとも被害の大きかった
ものは弘化四年大久保の前山寺の倒壊である。他に寛政、
弘化、安政の記録も残っており、以下これについて記す。
今年(寛政三年、一七九一)また、気候不順にして六月
十二、十三日ごろより降雨続き二十日までさらに[勝|すぐ]れず。
しかるところ同二十一日より地震あり、二十三日[酉|とり]の刻
(夜九時ごろ)大地震、これ前代未聞といえり。
(宮本理達家文書)
とあり、以下要約する。
「この夜震動すること三、四〇度にも及んだ。さらに
二十三日より二十五日まで大風となる。続いて二十九日
まで雷雨、そして七月になり、これまた今までにない雷
雨、やがて雷雨切れ晴天つづく日々となるや猛暑来襲し
熱気金をも[熔|と]かすほどとなり、八月の二十日また震動、
夜明けまで降雨あり。さらに夜半南風吹き出し大地震動、
西より東に光物飛び猛風砂石をとばし、大木を倒し、そ
の有様はこの世が変わるかと恐れおののく。十二時すぎ
に風おさまる。翌日隣村に聞くに、家財吹き倒されまた
は宅地の大木折れ、寺社の森も一〇〇本、あるいは二〇
○本と吹き折れること数知れない有様であった」また、
別の「家鑑録」には「八月二十日夜前代未聞の大風吹き、
野々宮社木根回り七尺より三尺までのもの八二本倒れ」
とあり、この年は地震、多雨そして大風とまことに災難
つづきの年であったわけである。