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項目 内容
ID J2600247
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1694/12/12
和暦 元禄七年十月二十六日
綱文 元禄七年十月二十六日(一六九四・一二・一二)
書名 〔丹後史料叢書 二輯〕永浜宇平編・中村安孝発行者S47・1・27 名著出版
本文
[未校訂](丹後震話集)
惨禍に直面して

橋立新聞昭和二年自三月二十九日第
一七三七號至四月一日第一七四〇號

永濱宇平
○元禄七年甲戌 五月二十七日地震奥羽死者四百餘十月
廿六日晝八ツ時ゟ七ツ頃まで大地震ゆ
り通し丹後損害多し
 それから元禄七年十月の地震もどこが震源か解らぬけ
れども宮津町では家々の間隔一尺以上もすいて向ふがみ
え白柏本町邊では道路に龜裂ができて泥土を多く噴出し
倒潰家屋も可なり多く殊に土蔵は損害が甚大であつたと
宮津事蹟記にある。建物中に土蔵に損害の多かつたこと
は今回の地震でも同様で斯は耐震力に對する建築術の研
究上たしかに或る教訓を齎してゐる。
(宮津事蹟記)
山形屋与十郎 録
文久二年
 元禄七戌年十月廿六日晝八ツ時ゟ大地震に而七ツ時頃
迄震い家々の間凡一尺許宛も明て相見え紺屋町筋幅三寸
許り深さ一尺餘の割目相立此割ゟ泥多分ゆり上げ、前代
未聞の大地震に而家々多分の破損いたし別而土蔵抔大破
損なり。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 80
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村

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