[未校訂](注「新収」続補遺一〇七頁下6以下に採録していない
部分左の如し)
(同六年正月十四日)
同日 霊台院殿ゟ地震御見廻ニ飛脚来
(同十七日)
同晩 高田へ自分之見廻ニ行石川佐左衛門帰 様子言置
先日之沙汰ニ別而替事無之 城中家大形つふるゝよし死
人惣数四百五十余人也 本丸ヘハ他所之者不入惣〆 町
口ニ物頭・侍二三人ツゝ番勤 出入改之よし 越後守殿
御暇可出沙汰有之 依之下野守殿参勤之仕度有之云々
二之丸堀端之大木ノ柳 植たることく堀ノ中ヘ入ヲ佐左
衛門見云々 信州ゟ盗人多来 町屋ヘ入 追懸候ヘハ
鉄鉋ヲ打カケル由 昼夜未地震ス 去十日ニも大キ成地
震有之 佐左衛門居る内也
同夜 二之丸ヘ 京ゟ地震見廻之飛脚来 上方ヘハ去四
日ニ知れ候よし 五日出云々 半右衛門と云者来
(同二十一日)
同日兵部大輔殿ゟ地震見廻之飛札来
(同二十五日)
同日 申来 去十二日越後守如例御暇出 城下地震ニ
付也