[未校訂](大猷院殿御実紀巻七十五)
(廿五日)
○(前略) 今朝大雨。午刻又大地震。よて中根壹岐守正
盛に双嚴院豪俔をそへて日光山につかはさる。』けふ
の地震により。川崎驛の民屋百四五十軒。寺七宇崩頽
し。その邊四五村民屋破れ倒れ。人畜毀傷する者多き
よし。代官伊奈半十郎忠治より注進す。』今夜松平伊
豆守信綱宿直す。 (日記、水戸記)
○廿六日小松中納言利常卿へ。使番多賀左近常長もて菓
子つかはさる。 (日記)
○廿七日卯刻大震ありて。其後も時々地震し雨降。よて
日光山へ急脚をつかはさる。又尾張亞相をとはせ給ひ。
小姓組番頭加々爪甲斐守直澄御使す。三家使もて御け
しきうかゞはる。』今より後かく大地震あらんには。
非番の目付は大手。櫻田兩下馬所にまかり。昵近の輩
を査撿し。門内にいらしむべし。酒井河内守忠清。松
平和泉守乘壽。安藤右京進重長は。各邸の門前へ家士。
健兒をさぶらはしめ。從者多く召連たる者を抑留すべ
し。平川門の方は松平伊豆守信綱この事をはからふべ
し。また保科肥後守正之常は芝浦の別業にすむといへ
ども。この頃しば〳〵地震して世も靜ならねば。櫻田
門の邸にまかり。この後地震あらんには。邸邊往還の
人を査撿して。通行せしむべしと命ぜらる。』今夜阿
部對馬守重次宿直す。 (日記、水戸記)
○廿八日月次なし。三家使出し御けしきを伺ふ。』堀田
加賀守正盛のもとへ。新番頭北條新藏正房御使して香
薷散を下さる。こは西城搆造にあづかる人夫に。賜は
らしむべしとてなり。』今朝卯刻天赤くして火の如し。
少しく地震し。午より烈風ふき。夜中時々地震あり。
(日記、水戸記、紀伊記)