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項目 内容
ID J2500680
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔小山町史 第二巻 近世資料編Ⅰ〕小山町史編さん専門委員会編H3・3・31 小山町発行
本文
[未校訂]268安(一八五五)政二年十月 江戸大地震にて山岡屋敷・土蔵大破に
つき修復手伝金上納達書
(封紙)
達書
阿多野新田江

一当月二日夜当地稀成大地震ニ付、為伺御機嫌出府致し候
処 御恙も不被為在恐悦之旨尤之事ニ候、然ル処御屋鋪
御住居向殊ニ御土蔵以之外御大破ニ付、此度冥加之ため
御修復御手伝として、高百石ニ付金三両宛之割合を以、
村々ゟ上納金仕度願上候趣達 御聴候処、一同恐入、
今般奇特之到 御喜悦思召、当節御物入多之折柄ニ付、
願之通上納金被 仰付、早速御用途ニも御差加可被成候
間、其段惣代より申通、早々上納方可取計候
右之通段被 仰出候間、申達候、以上
卯十月
森財次郎 
堀周蔵 
駿州駿東郡
阿多野新田
名主 長右衛門殿
(阿多野 喜多淳隆氏蔵)
[解説] 阿多野新田村は当時、旗本山岡氏の知行所だっ
た。安政二年十月二日夜、江戸を襲った大地震により、
山岡氏の家屋敷・土蔵も大破した。そのため、その修復
手伝いとして、高一〇〇石につき金三両ずつの割合をもっ
て上納したい旨、知行所村々より願い出たところ、許可
された。そこで、山岡氏の知行所支配担当役人の森財次
郎と堀周蔵が阿多野新田村の(喜多)長右衛門に早々に
修復手伝金上納を取り計らうよう申し達している。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 1048
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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