Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2500617
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔柏崎市立図書館所蔵文書〕
本文
[未校訂](状一枚)
此度三御屋敷御大破ニ付、領分中ゟ金千五百両也献納差上
候処、格別之御慈悲ヲ以御断ニ相成候処、此上共なき御高
□之段大肝煎始庄屋組頭百姓代小百姓ニ至迠難有承服可致
候、尤当年之義ハ御地頭様間抔之御災歎(カ)ニ御座候得は、御
用金之義は何程相懸り候共是迠数年之間御高せニ相成居候
得は用金等は御持□(還)相成不申事ニ候処、右様之仕合ニ付御
城内は勿論城下町々在村方ニ至迠すくはれ(ムシカ)へ年始歳暮其外
売物等ニ至迠、兼而相觸置候通り御趣意ヲ相守り堅く差留
メ可申様被仰出候間、小前老若至迠厳敷可申附候、以上
安政二夘十二月 領奉行所
大肝煎所
吉満川内
庄屋中
(14―318 書状)牧口家文書
端裏書
「牧口庄三郎様 長谷川寛右衛門 」
御紙表之通り甚寒□いよ〳〵御清福被成御座珍重ニ奉存
候、然は、先日ゟ早田氏ヲ以、段々巨細御引合申候通り、
此春江戸表天災一件ニ付御本家并小野様ゟ之御内頼ニテ当
旦那ニも誠以無余儀御頼之処、当年ハ格別之不融通之訳ニ
テ御繰合も御不都合之よし、早田氏ゟも具承り逸々承知い
たし候得共、何分御当家ゟ之御頼之儀、誠以前後ともなく
稀成御儀ニ付、此度之仕合、右御不都合之処御差操ヲ以当
年中ニて御上金被成下候様、是亦承知いたし、此者□今ゟ
帰宅いたし、旦(ママ)様御執成申上御聞済ニ被成候様いたし候間、
何分とも当年之中御廻し之様、拙者にも御頼申候、村々御
□様ゟ御□として一包被□御□難有受納致候、此段も帰
宅之上
旦那様へ御披露之上御□可申候、是亦御承知可成□候 右
御受迠如斯御座候、□筆御察見可被下候、以上
廿日 長谷川覚右衛門
牧口庄三郎様
尚々早田氏江も書状ヲ以可申上□ハ以後共帰宅ニ取急
き無其儀段御序之節宜奉頼候、以上
(14―473御書付)牧口家文書
(包紙)
「 御書付 御上下一具
御扶持壱人 」
御上下一具
牧口庄三郎
壱人扶持
右去十月江戸表大地震ニ而三御屋敷 御殿向并其外共大
破ニ付御物入多之御時節恐察仕致上金、厚心底寄持之至
一段之事候、依為御称美件之通被下之候
五月廿八日
安政三丙辰年六月九日奉頂戴候
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 945
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 柏崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.003秒