[未校訂]嘉永三年にも江戸上屋敷類焼のため御用金を出している。
このとき麴町より出火、大名屋敷八〇余を焼失、二本松三
屋敷も焼失、貸上金五〇〇〇両を領内に申しつけた。糠沢
組は六〇〇両であった。安政二年十月には江戸大地震があ
り被害普請の御用金貸上げがあった。田沢村は一九両出し
ているが、名主伊東市郎右衛門七両のほかは一両から一分
まで二二名が出している。 「有徳の者は夫々御割付の外に
献金致し帯刀など願候者沢山出来候」という。
称誉について
称誉については、すでにみてきたように、宝暦期に貸上
金の多寡により郷士・帯刀・苗字御免を与え、明和期には
領内名主のほとんどが苗字帯刀を許されていたようである。
「年代記」安政二年の情に「此度御上も御詰りニ付出金致
し候者へは格別ニ御称誉も下さるべく旨ニ付有徳の者は夫々
御割付の外ニ献金致し帯刀など願候者沢山出来候」とある
ように、幕末には称誉が乱発されている。出金のほかにも
「勤方」に対する称誉も与えられている。
十月に入り二日に江戸大地震があり、二本松屋敷も破損し、
先にみたようにこのとき御貸上金が割当てられ、献金した
者へは帯刀などの称誉が下されている。