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項目 内容
ID J2500609
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔浅草寺縁起〕○江戸S3・11・15 浅草寺縁起編さん会
本文
[未校訂]またその九輪に多少傾斜したところがあるのは、安政の
江戸の震災の時、火塊がこれに當つて粉砕した折、殆ど顚
墜にまで至つたのを、後に正したのであるがなほ全然正し
切れなかつたのである。
大儒菊池三溪が安政の震災を記す文中、淺草寺に関する
條に於て次の如く述べてゐる。
「震後一日、賽于淺草寺、寺畔有五層浮圖閣、其第一層
九輪、直指穐天者、傾欹屈折、殆將顚墜、予以爲是亦
地震所致、後問之其土人、曰方震之殷、火精一團、從
南而北電馳雷奔、横中其九輪、粉齏而四散、蓋其傾欹
折者以此也、此異市人所不知聞焉、會有舟子乘筏而
下墨田川者、隔岸觀此異、蓋或然也
Ⅱ各地
(注、聞きがき・他出ある文書など新しい情報を含まないものは、文書名のみをかかげる)
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 943
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 浅草【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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