[未校訂]5. 呑海寺
山号を塩磯山といい青池村円成寺七世良屋厳長が慶長元
年(一五
九六
)に下吉田村東向に開創し、塩磯山(松磯
山
)呑
海寺と名づける。安政の大地震により潰れる。安政四年
(一八
五七
)再建したといわれる。曹洞宗の新田地区への布教
がはじまったのである。一説によると、もと臨済宗能満寺
の末寺であったが、後に円成寺末に改宗したともいわれて
いるがさだかではない。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2500445 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1854/12/23 |
和暦 | 嘉永七年十一月四日 |
綱文 | 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕 |
書名 | 〔静岡県吉田町史(上巻)〕静岡県吉田町史編纂委員会S60・4・10 静岡県吉田町教育委員会 |
本文 |
[未校訂]5. 呑海寺
山号を塩磯山といい青池村円成寺七世良屋厳長が慶長元 年(一五 九六 )に下吉田村東向に開創し、塩磯山(松磯 山 )呑 海寺と名づける。安政の大地震により潰れる。安政四年 (一八 五七 )再建したといわれる。曹洞宗の新田地区への布教 がはじまったのである。一説によると、もと臨済宗能満寺 の末寺であったが、後に円成寺末に改宗したともいわれて いるがさだかではない。 |
出典 | 新収日本地震史料 続補遺 別巻 |
ページ | 594 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 | 吉田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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