[未校訂](注、「新収」第五巻別巻三、一四七頁の〔津市史Ⅱ〕の抄の部分は省略)
村内の被害状況は『川合村郷土史』に、「安政二(元年の誤り)年六月、
数月に亘り属々地震ヒ 村民ハ何レモ軒先 藪中 樹下ナ
ドニ菰屋ヲ設ケ 蚊帳ヲ釣リテ避難シイタルモノナリ、堀
田ノ凹凸ハ皆平垣(坦)ニナヲサレ 八太下垣内ニオケル初瀬街
道ハ諸所ニ亀裂ヲ生ジ 泥ヲ噴出シル(タル)タモ 家屋ノ倒壊
人畜ノ死傷セルモノハナカリシ由 震源地不明」
ということであったが『津市史』(第二巻)によると、津
町内、伊賀上野の被害は、他地域の数倍もあり、町内で上
野の場合では家屋が五百戸程も全壊しており、圧死者が百
二十五人と負傷者百四十人程も数えられるから一志町内は、
まだ被害は少なかったようである。それに堤防の破壊、地
盤の欠陥も少なかったようである。
(平野家文書)
(表紙)
「雑記録
平野性」
一 嘉永七年六月十四日諸国大地震当地ハ前代未聞ナレ
共他国ハ潰家 死人傷者多数アリ