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項目 内容
ID J2500255
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔中郷村史〕中郷村史刊行会S35・9・5
本文
[未校訂]本村関係の史料は真に少なく、又あつても見出し得ない
のかも知れない。小玉村の役簞笥中に次のような文書が見
出せる。
弘化四年未三月廿四日亥之上刻前代未聞の大地震(中略)
下は野尻より上は丹波島の先稲荷山迄村々打倒れ家も下
に相成り人馬即死其数を知らず当村居宅皆潰れ六十一軒
半潰十八軒 其外全潰土蔵十四棟 半潰土蔵十六棟
皆潰物置雪隠百九ヶ所 同半潰三十ヶ所 即死十六人
怪我人六人 死馬十疋 火災三ヶ所 外氏神 高札 寺
本堂皆潰れ 用水路七八ヶ所ぬけ落ち川の如云々
同文書中隣村牟礼皆潰れ火災二十軒、即死百六十三人、吉
村三戸山、山抜け押出し泥一丈人馬百八十余人時の間に命を
落し真光寺村も残不谷に押崩れ云々、最後に小市の上で犀川
の崩れ水を押止めた事も書いてある。
又黒川村東西不明の死者は、
男 七人 女十七人 計 二十四人
牛 一疋 馬 二疋
怪我人 男 五人 女 五人
潰家数 四二軒 小屋掛 四二軒
人数 一五五人
一人四合宛三十日分黒川村非常備え内より貸渡す 此籾八
石六斗
外御下金四十二両(即ち一軒一両之割合)
弘化四年三月廿四日の地震に御検使は同四月四日行なわれ、
検使は島津清介といつた。
尙福井は全家屋二十二戸、寺一軒の内全部が全潰した。そ
の他物置土蔵之数は不明、死者二人女で、娘一人、老母一
人、馬不明 以上
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 320
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 中郷【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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