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項目 内容
ID J2500197
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔鷹見泉石日記〕○古河大倉精神文化研究所
本文
[未校訂]三月廿四日 晴五十六分 夕七過七十五分夜五半過頃地震
三月廿九日 曇六十三分 九時地震
四月五日 曇晴 朝五ツ六十七分 夕ゟ雨
(前略)
○常蔵読売二枚調来信刕善光寺去月廿三日夜ゟ三日三夜大
地震御堂横ニめり込敷石ゆり込町や出火参詣人迄多人損候
由七里四方といふ
四月六日 曇今朝迄大雨小雨 朝七十分觸(燭)過七二分余
三英見廻善光寺開帳参ニ古河ゟ五人参候内向古河女一人死
候由信濃川水干流一向無之ニ付旅人ハ立退候様且開帳札建
候処倒又建候へハ開帳不致候様認有之候抔不思議之事有之
候由戸川小兵衛二男江戸ゟ帰薩摩へ異国舩来候付打勝候由
風聞候 (後略)
四月八日 曇 四時至六十七分 小雨
暮過七十一分余
(前略)山崎與一郎左之御届為見候
私在所信州松代一昨廿四日亥之刻頃ゟ大地震ニ而城内住
居向櫓并囲堀等夥敷破損家中屋敷城下町取分村々其外支
配所共家数多死失人夥敷殊ニ村方ニハ出火も有之其上山
中筋山抜崩犀川口押埋水湛致シ充備(満カ)勿論流水一切無之北
国往還丹波嶋宿渡船場干上りニ相成此上右溢水押出シ方
ニ寄如何様之変も難斗奉存候且今以打震申候委細之儀ハ
追而可申上候得共先此段御届奉申上候以上
三月廿六日 真田信濃守
三月廿九日 曇 六十三分 九時地震
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 199
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 茨城
市区町村 古河【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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