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項目 内容
ID J2500073
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔豊橋市史 第七巻〕豊橋市史編集委員会編S53・2・1 豊橋市発行
本文
[未校訂](寛文拾壱年辛亥拾月廿一日 高塚村免定書付
田中八兵衛)
一宝永四年亥ノ年三月御願申上、亥子両年前通定免ニ
請申候本三つ
新弐つ六分三厘
同年十月四日之八つ時分ニ地なり、大地しん大分ニゆり、
山くすれ、海へなき引申候、少すき津なミ上り、舟あミな
かし申候、暮迄ニ少々つゝあい御座候而、三度ミな上り、
浜皆海ニなり申候、あミ不残なかし、上浜へ八日迄ニゟ申
候、舟三つ四つつゝニ被申候、甚次郎・四郎兵衛之舟計そ
んし不申候、同四日ゟ毎十一日ニ四五度つゝちしん仕候、
十一月廿四五日時分迄ゆり申候、後程少つゝ仕候、
同十一月廿三日之四つ時分ニ大分ニちなり、其ゟふち(富士山)さん
やけ出、十二月八日迄やけ申候、同年六月十日ゟ十八九日
時分迄きび・あわ長サ壱寸計之くろきかた付申むし付、き
び・あわをくい、後ニほをくいくすし、毎日取ころし申候、
此宝永四年亥ノ年方々ニ替儀出来申候、同年十一月十五日
ニ江戸ゟ内田佐五右衛門殿両村御見分ニ御登り、舟なかし
申由御見分ニ而、両村へ金四拾両御かし被遊候而、皆々舟
作り申候、ちしんニ而家弐拾四五けんころひ、かたき申家
不残ニ而御座候、戸とうの宮様、古地松木共ニうみへゆり
出し申候、高塚村左五兵衛と申者壱人浜屋敷参候而、なき
ニ打相果申候、宝永三年戌年三月、吉田御城主牧野備前守
御拝領被成候、ふちさんやけ申ニ付、武州・さかみ両国へ
大分ニ砂ふり申ニ付、田地すたり、家もころひ申ニ付、日
本中不残百石ニ付金弐両つゝ御取被成候、此年地方御訴詔
折々申上候得共、相叶不申候
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 52
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 豊橋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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