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項目 内容
ID J2401462
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/20
和暦 寛延四年四月二十五日
綱文 宝暦元年四月二十五日(一七五一・五・二〇)〔高田・越後西部〕
書名 〔浦川原村史〕○新潟県浦川原村史編纂室編 S59・8・10 浦川原村
本文
[未校訂](注、「新収」第三巻三七四頁上左七行以下に含まれる
ので省略、但末尾の左の文は研究上に役に立つので掲
載する)
 この時期の当地の支配は大変入り組んでいるので、当
地の各村が、右の被害書上のどこに含まれるのか、具体
的には分からない。横川組九か村と長走村は設楽長兵衛
川浦附である。安塚・大島方面の和田・細野・行野・大
島の四村も同支配である。ところが当地のうち真光寺村
は、田中八兵衛[真砂|まなご]附、その隣村の谷村は長岡藩、牧野
家の預り所で、松之山郷などと同支配である。このよう
な錯綜状態だが、当地の大部分は、真砂代官所と川浦代
官所に含まれていたと考えてよいだろう。
 伝存史料では当地の具体的な被害は分からないが、同
年六月、横川組の杉坪村、大栃山村、上・下柿野村、有
島村、釜淵村、虫川村、小谷島村、横川村では、次のよ
うに注進している。
乍恐書付ヲ以御注進申上候
一、私共村々地震にて山崩、大割れ等之場所、随分
手入仕、植付申候、尤出水、地震にて無之場所ハ
五月廿五日・廿六日、六月三日両度之雨天にて漸々
仕付申候、此後天気打続候ハヽ、仕付荒ニ罷成可
申も難計、迷惑奉存候、且又、村々之内にて幾重ニ
手入仕候ても用水無之、植付不申場所並川欠山崩
等荒地有之村々、委細帳面ニ指上申候以上
寛延四未年六月
横川村他八ケ村(村名略)
川浦
御役所
 全体的に史料が乏しいのではっきりしたことはいえな
いが、この地震による当地の被害は比較的軽かったので
はないかと思われる。谷村と真光寺村の年貢割付を見る
限りでは災害のための減免や夫食・種籾拝借等はない。
少なくとも人命にかかわるような損害の出た形跡はない。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 250
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 浦川原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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