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項目 内容
ID J2400804
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1704/05/27
和暦 宝永元年四月二十四日
綱文 宝永元年四月二十四日(一七〇四・五・二七)〔津軽・能代〕
書名 〔浪岡町史 資料編十三〕○青森県S58・3・31
本文
[未校訂]宝永元年(一七〇四)四月廿四日 四月十日に地震、同
廿四日夜中地震方々にて潰家御座候。酒屋はこぼし申候。
此地震にて深浦の海底浅く成申候。大間越に而笹森勘解
由左衛門知行所、堰は潰れ鰺ケ沢にて唐津船痛候。
西ノ関ニ而山崩れ、海に入廿五日、廿六日地震五六度宛
有之、日照ニ御座候(とにかくこの年は地震の多かった
年であった)この時、又も能代方面に再び大地震があっ
て被害甚大。前回は震源地が能代方面であったが、今回
は県境中心で大間越にまで拡がった。
即ち、大間越から深浦迄の間に山崩、崖崩が数カ所有り、
一帯の海岸が隆起した。赤石組の被害最も大きく死者数
十人、山崩れの下敷となり、家屋全潰。半潰六十二、堰
二十カ所、田廿五町歩余に達し、その他諸組では大鰐、
田舎館、尾崎、浪岡、藤代、藤崎、赤田、高杉駒越、和
徳、大光寺、横内、飯詰の各組の堤防、田畑の被害が大
きかった。(鳴海日記)
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 153
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 浪岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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