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項目 内容
ID J2400797
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1704/05/27
和暦 宝永元年四月二十四日
綱文 宝永元年四月二十四日(一七〇四・五・二七)〔津軽・能代〕
書名 〔久保田町記録集 川口町丁代文書〕「秋田市古文書資料(Ⅳ)」S62・3秋田姓氏家系研究会編・発行
本文
[未校訂]一四月仕四日ノ昼大地震城下迫り蔵等ことことく痛申候
然共人死ニハ無之候能代ニてハ大方不残焼つぶれ其上
五拾八人男女共ニ死ニ申候其後五月廿五日迄度々地震
仕候得共よわく御座候右之通故町々之かりこやかけ罷
有候
一右地震故五月朔日比ゟ鹿島祭り仕町々ニて人形出シ其
後舟ニて送り候事ハ先年ニ替り殊之外丹(に)きにき敷御座
候而称(ね)りもの山おとり六方大名之置立又ハ軍陳(陣)之置立
其外色々之祢りものト出申候事難尽筆紙候以上
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 150
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 秋田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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