[未校訂]法蓮寺は享保十三年(一七二八)の銘をもつ「宝蓮寺堂
再建記木札」(称名寺所蔵)によれば、大同元年(八〇
六)、法界上人により開基された寺院であったが、応永
十四年(一四〇七)十二月の地震で諸堂諸仏ことごとく
破壊され、中尊の薬師如来坐像と山門の持国・広目天像
だけが残った。倒壊の後、残木で五間四方の堂を建立。
享保十三年春、新たに堂建立の志を起こし、同年秋八月
棟間二間半、桁行二間半の堂を「一族の邑民」が合力し
て建立したと伝えている。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2400080 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1408/01/12 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1408/01/21 |
和暦 | 応永十四年十二月十四日 |
綱文 | 応永十四年十二月十四日(一四〇八・一・二一)〔熊野〕 |
書名 | 〔久御山町史 第一巻〕○京都府久御山町S61・3・31 京都府久御山町 |
本文 |
[未校訂]法蓮寺は享保十三年(一七二八)の銘をもつ「宝蓮寺堂
再建記木札」(称名寺所蔵)によれば、大同元年(八〇 六)、法界上人により開基された寺院であったが、応永 十四年(一四〇七)十二月の地震で諸堂諸仏ことごとく 破壊され、中尊の薬師如来坐像と山門の持国・広目天像 だけが残った。倒壊の後、残木で五間四方の堂を建立。 享保十三年春、新たに堂建立の志を起こし、同年秋八月 棟間二間半、桁行二間半の堂を「一族の邑民」が合力し て建立したと伝えている。 |
出典 | 新収日本地震史料 続補遺 |
ページ | 12 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 京都 |
市区町村 | 久御山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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