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項目 内容
ID J2300444
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔安政大地震絵図〕三康図書館
本文
[未校訂](
注、これは生々とした絵巻物である。絵は二十余ある
が今回は詞書のみを掲載する

○二日地震之節八代洲河岸火消屋敷火之見之上震落し火之見
番は怪我なく屋敷とともに地に落る
○十月二日大地震潰出火松平豊前守屋敷江七日頃ゟ幽霊出青
き火もへ声を発る
○十月二日地震之節堀美濃守小石川柳町江通りかゝり地震ニ
而町家潰れ怪我致す
○二日地震之節瓢簞屋の亭主外に連両人浅草御門江通りかゝ
り地震ゆへ連両人は逃瓢簞屋亭主は大酔ゆへ地震とも不心
付ゆするな〳〵云なから烑灯を高くし地に座して少し怪我
いたす酒の徳し(カ)と云へし右ニ付難なく両身無別条なき事を
よろひ右故冥加之ため三日之内諸人救之ため無銭に而そば
諸人江ほどこす
○二日地震後伊勢守殿但馬守殿下屋敷へ立退日々登 城之節
乗切にて御出之図
○谷中天王寺の塔の九輪折地江落有之さし渡し五尺有之候
○浅草御救小屋内ニ而博変いたし候事あらわれ候ニ付御小屋
とりくつし相成る
○此度地震ニ而吉原中類焼いたし死人おびたゞしく有之右焼
跡夜廻り順番ニ相当り其節雇イ人一夜相頼金壱両弐朱宛ニ
而雇申候処一晩ニ而皆断申候其故いかにと申ニ鉄棒ヲ引行
ニ其鉄棒いかにも重くガラ〳〵と引事不叶力を入一晩廻り
翌朝は重荷ヲ背負且とく筋骨惣身いたミ難儀ニ及ひ右ニ付
皆々おそれ一夜切りニて断申候全く死亡霊魂の仕業と物語

○御書院青津田□守組有田忠三郎と申者此相番小石川ニ住辻
十兵衛相番と同所大河原源五右衛門と至而別懇(ママ)ニ而年来出
会致居候処二日之夜二軒とも皆潰申候然ル処出火有之候ニ
付直寄場へ可出とて黒之火事𫌏束ニて十兵衛源五右衛門方
へ透引ニ参り申候間御同道可仕とて同人父の居候奥の方へ
参里此段申聞□□玄関外へ出見候処十兵衛儀当りに見へ不
申源五右衛門存候には一足先へ参り候事と存出勤致候処へ
十兵衛宅ゟ奥方口上ニて唯今御出被下候様ニと申参候間直
参り見候処十兵衛儀先刻の地震ニて押ころされ申候如何の
訳やと談り御座候右ニ而先刻さそひに参り候はまつたく幽
霊ニも候やと古今珍敷不思議なり
○十月廿六日頃六番町火消屋敷同心長屋風もなき日にバラ
〳〵とこわれ倒れ申候同所長屋内人埋れ候得共不死怪我人
等も無之候長屋下江八百屋荷を下ろし居候を長屋倒候節む
なしく押候即死いたす
○二日地震出火之節阿部 (ママ)小川丁江参り潰家の人を助ケ
五間程先ニ男壱人潰家下ヲ手まねきいたし助てくれと云内
外より出火おこり候ゆへ阿部逃るゝ其時うらめしけに声あ
けしが耳につき四五日煩
○小塚原江吉原女郎客の死骸百人位程埋候もかり四ケ所有り
○八王寺ゟ夫婦子壱人同道ニ而江戸江出深川海辺大工丁江家
をかり半月計り居候内二日の地震ニ而三人とも死其夜より
八王寺の母の方へ幽霊夜な〳〵来る母たまりかね江戸へ法
事に出る
○霊岸嶋町蓬来寿しの娘踊の浚(ママ)に参り金太郎を踊居候処二日
の大地震ニ而見物とも不残死す親案事尋に来るに永代橋の
中程に居りしに親よろこひ何とて此橋におり候哉問しに不
動様のよふなるおふひ来る由いふ此親常々成田山の不動を
信心故御助と存即成田江参詣いたす
○十月二日地震の後怪我除守のよしにて此書付を以いつれも
持ち出る
𪮷抬𪮷𪮇寛平白狐神
水神のおしへゑに(恵カ)命たすかりて
六分の内へ入そうれしき
其後色々地震の風説有之十二月七日八日之内大地震有之よ
しにて怪我よけの守流行る
♠♠搷二♠水梓合
此守を女子と母首へかけ待とも地震の印もなし
○此度地震の絵板元いたし候ニ付絵屋五人組十二月五日町奉
行へ召捕ニ相成り入牢いたし地震の絵売候事法度に相成る
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 669
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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