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項目 内容
ID J2300366
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔松濤棹筆 五十七巻〕名古屋市鶴舞中央図書館
本文
[未校訂]此冊中ハ安政元之冬大地震を集る物是天変地妖乃内なれハなり
○嘉永七年甲寅霜月小朔日 晴温にて二日朝雲出来り後ニ
微雨を催し染入たり三日ハ一天雲みちて巳之刻頃より霏々
たる雪花をちらつかす当歳初ての事にて今晩弥吹雪して既
ニ地を白む四日暁に至て満天雲晴れ星皓々今朝庭樹悉花咲
かと怪み積雪一二寸東郊を望めは田畠一面ニ白く旭日映し
て初雪の詠を称せしむなと奥に入り支度済ミ彼是して卓ニ
向ひしか頃ハ辰の中刻かとも思しきに西の方より一どよみ
鳴音して障子俄ニゆすり出す音忽太り家の柱天井壁ともが
た〳〵めき〳〵と音高く成ル参りつとへる書生児とも急き
逃よと追出しつる内次第ニ盛大に家ゆすり伏るもはかりか
たけれハ居る心ならす足袋のまゝそこら草履なくて東の庭
へ走出しかと樹木舞ひ地定かならす林間大風の音して立か
たけれハ前に在る一抱はかりのフクラシバに手懸て立見て
あれハ家東西棟行八間半南北梁五間半ニ玄関付出し在ゆする事ぎしり〳〵と大勢し
て押かことく瓦の軒端より飛び落る音がハラ〳〵ト聞へ一
息ツゝ弱り止むかと思へハ又震ひ来りて初震より三度目に
ハ最早家の壁なき方ハ押伏つらんと思ひの外四方江の引張
りもある故にや転ろひすして持堪へたり凡震ひ止切りし時
ハ辰の下刻ならんか初めて人心地出来りぬ此時意ふに日来
斯く家作為たらんバよからん斯くの器斯くの衣ほしきなと
思ひし心の慾と云事を知り分けてかうやうに地震ひ家圧倒
れんとするに何か物数奇あらん衣ハ暑寒を凌き食ハ命を養
ひ居ハ膝を容れて雨露を避くへくすへて衣食住の三是に過
ずと云事を悟れる也扨其後アソココゝより妻子出来り集り
て初て安堵を云家のさま見廻るに壁ハチリ切れ貫の処土く
たけ落天井より煤塵畳に落積り仕はめし鴨居より落かゝり
障子紙もみ裂けて飛はづれ所々小壁倒れ抜け雪隠なとの附
屋の処ハ土台いさり出土蔵中塗土へゲ落跡ハ角々ワれ其西
南の地ニ疲寄りて土へげたる所在り裂る事ハ見えす小便瓶
悉アフレ出たり其地震中ニ乾隣川口屋飴煮ハワレ下シタル
処へなへふり来り人遁出候跡へ其辺の大差下しの廂瓦屋倒
れ伏す竈の火大牧割ノ焚火其儘燃へ移り煙り立ト倒れ家の
煤烟とにて夥しかりしかハスワ火事よと云出す折節人々市
巷に逃出立群かりし時なれハ忽駈集りて踏潰せし也未た倒
れぬ所迄切くずせしとかや又門前十町許り南石橋東南ノ角
三軒一棟の借家ハ松屋弥兵後家控なりしか北へ倒る是も煤
煙り夥敷立しと云此長屋の北ハ三町畑常三升畑ト云の畠へ
入ル一間道ありしかハ南より押れて北へ倒れし斯く片方透
有ル町家ハ悉く其片方へ傾く門前南角の美濃屋喜兵か家も
我閑所へかたくに依り北角鍛冶屋文助控と持合に張り木を
入度由急に頼出しかハ請かひて免し入させたりされと喜兵
か裏座敷の土台四寸通り先年我構へ無理して建たるか戌亥
の角より小一間土台刎出たれハ弥通行邪魔ニ成と雖此折か
ら不及是非擱せたり其日昼之内より夜へかけて絶間もなく
一ゆすり追付〳〵する事地のなるにや折々ドウー〳〵と云
音する時ハ又モヤと人々恐を為す凡今日地震の数大地震の
後日暮頃迄ニ廿一入夜子刻迄ニ十八合小震三十九度震ひた
りされとも家にたまらぬ程の事にハあらす食事を営むに焚
火を恐るゝ故多く食物ニ尽たりとて町ニハ餅なと求めんと
するに売る家やはり是を拵る事能はすと也斯る処に今日朝
五ツ六ト満チ上りの潮にて昼九ツ時頃ハ真底リ(ママ)成ル時ニ沖
より高潮押来り熱田築地へ乗り浜の鳥居の北迄も潮乗上り
しと其潮悉泥水なり近付再度乗来り潮高六尺も段取り坂落
しの如く堀川へ押入尾頭橋以南西堤ハ越ニ入候由古渡橋辺
杁方前往還近く満ち堀留辺ハ常の潮高より増たりと小船材
木一混ニ突込流し上る程に浪にて四□ハ逆立中より押折り
しも有り破れしハ珍らしからすと荷船荷物を除け流したり
人々出て拾之候由御船手一番に御船蔵へ入御船引出しぬと
其時見し水勢の話し也今日滝川豊州侯御月番今晩御飛脚を
被出江戸御座元江注進可有とて急ニ御府内熱田迄を被為改
しに御城中外存之外大破なく見立候事ハ西鉄御門の桝形東
側御多門の壁十一間斗りのじ竹ともにふるひ落其余小破奥
御庭石燈籠ハ能落候よし
御宮公義御霊屋小破献上石燈籠ハ能ねたる(ママ)也建中寺御庿(廟)御
石碑一所転倒前へうつむきし共云明公御庿(廟)のよしあつた浜
御殿も損せし由同築地浜所ニ地裂海へ凡一間位ハなたれ出
つらんと云扨も熱田ハ府下にて一統強かりしかハ東の本陣
の勝手ハ潰れ落ぬ伝馬所馬屋潰れ落伝馬丁の旅店表ハかな
り内ハ半倒れ多ト神戸ハ其様ニなしと雖悉くいたむ昔の事
予か覚えし享和文政強くないふりしかとも跡引事なかりし
か今度跡夥く長きに人々困るされとも昔の心知れるもの再
ひハゆすらじと落着して四日夜ハ家々内に入て伏ると雖跡
から起出るなれハ大かた一夜まとろますなりぬ扨五日暁丑
の刻より近付〳〵ゆすり明方前頃一ゆすりするにハ遁出た
り明六迄ニ已上九度なり朝五より昼九迄ニ五度ハ小ゆすり
也昼後間切なりしかハもウ是切ニ静まりしならんとて心お
ちつき誰も夕餉焼きよべよりの空腹とゝのへんト膳ニ居り
予ハ二椀を給ル頃鳴動起り来りしかハ人々互ニ火をしめし
火鉢持出ル次第に強かりしかハ庭へ出居しに家ギシイリ
〳〵と動き又もや昨朝の如くかと思ひの外其半分程にて過
去り刻も短かゝりし是にて一同市店肝を冷し今夜ハ晩より
往来の街真中畳一畳敷通り互ニ戸障子風囲ひして夜を明さ
んとする辻々に篝火立神を祭り祈る程なく又五半過と思ひ
しか一鳴動してゆする時予表町へ出居しか両側の町家ギシ
イリ〳〵と鳴り動く事暫く凡夕方のに髣髴たり時に一旦家
に帰り入神を請し奉りて占得し卦ハ風天小畜也畜字ノ解起
リ止ムトアリ然らハ未た半治半動と見えしかと大事ニ不及
旨なれハ人々に告て安堵せしめんとす今夜も六度ゆする六
度ハ宵の半分程其余ハ小ゆりなりし也
○六日 晴天殊静也今朝より昼迄ニ小震五度の後ハ先ゆすら
す未刻岸辰訪ひ来て今日熱田大宮群集と又暮合玉子訪来右
宮中の噂有り凡七分通り人込入莚敷屛風囲なとに夜着蒲団
被り其内女郎多き趣宮駅中軒別家に男一二人残り女児皆中
ニ籠れり其群集夥し然る中へ神徳を仰き参詣人又夥し凡外
々石燈籠に不倒ハ稀なり古渡東本願寺懸所外四隅石燈籠も
転ひしに此あつたの宮の燈籠殊に佐久間の大燈事故なし神
殿曾て鳴動なしとて遠近国々信を競ひ群集今夜別して府下
の士庶多し巷頭てうちんを軒にともしつらね行人手てうち
ん(提灯)を携へ通ふ家々の篝火映して軍中もかくやと夥し六十余
歳にしても今夜の見る目珍らしく思ふなり日本武尊の神威
未た解け玉ハす草薙の宝劔ハ四海を守らせ玉ふ今にして日
来阿弥陀観音と云し者も誰ありて言出すものなく皆尊の神
威を仰き奉頼心一途に成れる皇国の風俗爰に顕らハれてい
と貴き也三之丸東高橋阿州侯の表長屋北より小十間四日に
傾きしか五日夕のにて潰れぬ稲冨氏炮師家長屋又倒れ堀留
にて小瀬氏同断と云南寺町西本願寺腰懸所本堂前ノ四脚門
損し皷楼転落東懸所対面所も傾き危しと凡府下の内にて圧
死三十六人の由其内老人多きよし此節銭湯の張出書ニ小児
二人以上連られ候人と六十以上の人ハ入湯御断と有しと噂
申尤之事「東懸所対面所元本欄外ニアリ卯春より瓦ヲおろしかける震損を
言草にて作事を初め勧物を集ル工み事也同秋ニ到て食堂と
云古堂を毀ツテ畳む様子也」
○七日 暁より雲天時雨あり又ハ晴る入夜戌丑寅の刻々に震
フハ小し今日巳上刻酉半刻と両度ハギシイリ〳〵ト暫く長
くゆりけれハ人々逃出たり扨もまだ震動あらん何の刻強し
某の日を可恐など熱田の託宣と云「徳義思ふに大地震の前ニハ宣な
くして此跡ニテ斯あるへしとも覚えす是ハ神官の中にも宮中ニ籠り潔斎して
諸祈禱を為す人あり是等のうらかたを為して考へ申出す事歟」何さま震
ふ時刻の遅速震の大小ハあれとも違はす衆人是を信し恐れ
しかハ頃日より市中街巷に仮り屋しつらひ居るハ前の通珍
らしからす三之丸外片端の広地芝原本町大手先より東ハ殊
ニ場広なれハ辻番も見遁せハ我等も持場なから天地の変動
人命の助けいかに為とも制せす差置程に人より一と二畳三
畳の仮り屋戸障子立囲みて婦児子を入置趣なり男ハ家を守
る広小路又仮屋多く立ル本町通リハ前ニ申通り往来の人ハ
両傍を通り中央ハ仮屋立並へたり予か居古渡の郷中も仮屋
建ぬ人ハなし或ハ戸障子或ハさか藁葺にするハ入念なり予
か庭中にも二畳の仮屋作り女中ハ臥さしめし寒き時なれハ
人々難義するされハ仏壇資財器物重立しハ誰も圧に打れぬ
様外に出し置仮り寝すれハ予も半夜替りに起て守る町々ハ
起し番の者一時替り火ノ元なと呼あるく声喧しかゝる中へ
夜盗徘徊して表に仮り居する留守を付ねらい裏より入ル事
あそこよこゝよと言伝ふ
○八日 晴雲不定巳刻少し震フ昼之内静入夜丑之上刻寅ノ上
刻と二度ゆすれとも軽ろし予も拍子木なと打て宅中を廻る
隣家皆仮屋に寝てありて守る
○九日 天晴入夜月清光昼静にて戌之下刻子上刻丑上刻ゆす
〳〵〳〵と音鳴る其外今夜時となくみぢ〳〵と家に音して
心ならす夜を守る今日葉栗郡光明寺村の人来り云北方ハ西
隣の村なるか木曾川端に石垣して土蔵建並らへしハ石垣崩
れ蔵落流れぬ外村々別事なし犬山城障なしと聞ト云
○十日 晴西風今日昼夜静なりと雖人々守る食物乏しく成市
巷難儀と云諸商惣休是買手更ニ無故之由
○十一日 晴朝四時前後と夕八時と三度小震あり今夜子刻危
しと風説スト雖無事にて明ル十二日晴今日夜迄初て静なり
衆人仮り屋を出て家に寝る御作事奉行の衆 御本丸震損の
有無改有へき由聞ゆ御勘定吟味役故取立合と也荒子村観音
寺訪ハれしかハ寺中の事実聞別ニ記ス
○十三日 晴夕かた二度ゆする小し
○十四日 晴巳之刻ギシ〳〵〳〵家内出払候其後夜迄も家内
時となくメキつく音あり十五日より廿二日迄先静なり併折
ふしメキつく音ハ不断也廿三日暁迄ニメキ〳〵と二度六半
刻頃ゆす〳〵〳〵〳〵ト小震ありて目覚たるまゝ起て燈下
に守る隣家の僧も同し心にや戸なと明る音して後経勤の声
するも起序ニ朝の勤行済さん心成へし昼の内静也
○廿四日 暁寅ニ起て此ないふりの起りより書付置はやと思
ひ燈下ニ筆を染る折から七半頃とも思しき時西よりドヲ
ウーと鳴り音して来れり家内目を覚し起出るまゝ遁道雨戸
明置しかと小くメキリ〳〵ト致はかりにて大震に至らさり
しかハ戸を〆て入隣家又人音する何方も同し心にや程なく
夜ハ明ぬ十一月廿四日爰ニ至テ九丁今暁日記ヨリくり出し
て書つゝり候
けふ頃に霧あらん日ハ危しなと巷説する夜迄静なり
○廿五日 暁寅中刻一ゆすりスル今暁も早く起て居し卯上刻
又一震あり朝より雲天を塞き人々あやふみ居る午刻より東
風強く吹起る凡大風の吹出しの如し未刻頃一震鳴り着座致
居候膝をトン〳〵と両度突上る程ゆすりし申刻より雨降出
ル東風止
○廿六日 暁丑刻過ガタ〳〵〳〵ト一震寅之刻ゆす〳〵〳〵
寅半頃ドヲウート鳴音致来カタアリト音して止ム
○廿七日 晴申の方より吹風終日なり午半刻頃ギシ〳〵ゆ寸

○廿八日 先ハ静なり今日去ル四日の大地震以後始て出行致
ス弟忌中籠居今日忌明也宅より北行山王稲荷の社門前いなり屋と云立
場茶屋傾く瓦屋根大御堂の門突張かい南角市店突張かい辻
横丁南角もやいの諸桁入ル延広寺門前北角つくはりかい七
面の門つゝはり塀同前此南横丁角家の西裏なる土蔵壁ふる
ひ落門前町寺々の門皆つゝはり入門前角家ハ不残つゝはり
かい壁一二間程つゝ落抜たるも不少西門跡腰懸表門つゝは
り塀共ニ入有之若宮無故障凡南より詠め来るに爰らより北
ハつゝはりもなく成壁抜落たる処も見えす次第北程軽ろか
りしにや花屋町東へ曲けて入ルゝ此辺南角とも傾きたる様
子なし住吉町北へ参ルニ同前七間町へ入之所聖徳寺の門矢
来作り西懸所の如し顚倒して塀共仮りに立付有りし其筋市
店目立事無くつゝはりなと一向無之片端へ出候処常の趣三
之九へ入口本町大手石垣無障御門の二階御多門大損南妻抜
落たる口一坪斗其外かべ破れ北之処東へ傾き凡一尺内片端
東へ行所諸家無難御土居付山本道八宅ハ元来の壊れ家其一
軒置て東稲冨四郎表長屋東之処九間程顚倒東御土居下諸家
無障東御門石垣無障御門二階の御多門南西少破れ東北為差
事なし但此内御普請方持にて御多門内改しかとも外壁ワれ
候のみにて内廻りニ損無しと申候事追て承之夫より西角北
かわ当時御老列高橋河内守殿表長屋北にて九間斗り倒れ候
由兼て承り候分松板二枚半立上ケ囲ひを付置有之夫より大
下馬迄諸家無障御城御石垣無障御高塀御矢倉壁所々破損其
内当六月四日市地震之節ゆすり損候壁繕出来跡丈ケ悉ひゞ
わる大下ニ(ママ)入ル処下馬札より南近年石垣欠込繕跡地われ三
寸巾丈南北へ口明き西鉄御門入り桝形東側御多門一面ニ壁
ふるひ抜落たる由及承処新壁付終り有之御座所御殿向無障
御本丸も御石垣無障御多門壁当六月繕候跡も差たる大損無
く役所内一ケ所壁抜倒有之夫より東御門出白壁町美光寺筋
高岳院前東新ン町ウ池田町鍛冶屋町下大津町矢場ト通り候
処白壁町より是迄是と同定所も見えす万松寺辺よりつゝは
りかひ候事始り夫より南へ参るに随て損多也北東程軽しと
聞えしか此体なり
○廿九日 夜九頃一震ギシ〳〵
○十二月前月小也大朔日暁巳之刻ギシ〳〵〳〵夫より明前迄ニ
小震三はかり音スル
○二日 暁寅刻ギシ〳〵〳〵午刻キシ〳〵〳〵
○三日 晴午時一震軽ろし入夜九ツ過きキシ〳〵〳〵夫より
ビリゝ〳〵と追付〳〵暁寅刻キシ〳〵〳〵
○四日 晴朝寒風難凌村雲巳刻吹雪一村降過て後寒気緩まり
ぬ人々跡之月のけふそとて用心せしかと静なりし
○五日 晴今暁子之刻過メキ〳〵〳〵〳〵と震ひ其後メキ
〳〵と云づめにても為差事なし寅刻ドン〳〵〳〵ト音致し
ゆす〳〵〳〵と余程震ひ候昼ニ成てもどこ共なしにメキつ
き不止日之入比ドン〳〵〳〵と鳴音致ストメキ〳〵〳〵
〳〵と少小長くゆする跡月五日の今比ハ二日め之大地震せ
し日取時取も不違如何成事にや既に三十日之間静まらさる
也一説ニ此月朔日内津辺よほと強く震ひ候由宮駅傾き家も
多有候分廿五日之強風にて所々倒れ家有之蠏江にても八軒
吹倒ハ地震之傾き家之由十一月廿七日ニハ駿州富士川末之
海辺所々江異国船被吹付船損候由にて其辺浜手松原へ上り
野宿致居候由一所ハ三十六人一所ハ五百六十人抔ト聞え候
是も大地震之あくり(ママ)之由噂七里之届ト云
○六日 晴今暁寅上刻ギシ〳〵〳〵〳〵〳〵余程強く長くゆ
する巳下刻ドン〳〵〳〵〳〵ト如雷地響鳴ル晩之頃日中伊
吹山光気ある故人居遁去風聞ニ付今日之地響此山吹貫ルか
と云々未慥ならす
○七日 晴静未之刻過微震入夜亥之上刻頃ゆす〳〵〳〵(後
略)
○八日 晴静夜ニ入て亥上刻少過頃一ゆすり致来りキシ〳〵
〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵よほと長かりしかと強くハ
不成候付堪らへ居而相済夫より以後二度程小ゆり有り兼今
日ハ大事之日並と云事申ける併今日を越候へハ最早安堵之
由巷説ありしガハタシテ如此ゆり来れり
○九日 日中小ゆり折節之気味不断ニスル
○十日 午中刻ビリ〳〵〳〵今昼後歩行之道御園巾下両御門
も本町大手御門同様之損し壁斗也巾下新馬場辺より御城方
を見通スニ御多門御高塀かべ損し西側ニハ見ヱズ鷹匠町よ
り紙漉町辺都て無事竹村より帰りかけ江川端巾下本町ニ取
付辺東側土蔵倒レ塩町筋為差義なし御姫様やしき北板橋西
土蔵一倒れ巾下古き蔵ハ大分損し也
○十一日 晴夕申中刻一震キシ
イリ〳〵〳〵〳〵〳〵よほと
動き他より見候へハ屋祢の動
くが見えたと申候(後略)
○十五六日ハ静なり噂ニ当月一
日内津よほと強くゆりし由名
古屋も朔日夜中ニゆりしなり
本町御門の渡り矢倉壁われ落
北ニてクジケ候分今日より御
修復ニ御取懸らせと云
○十七八日ハ静晴
○十九日 晴和如春本町大手御
門上之御多門御修復今日通り懸け所伺如此はや足志ろをか
けたり通用の門口の上ハ道板ならべ莚敷塵土の下へ洩らぬ
様にする下地なり今日下条庄右衛門殿広間ニ居候時申上刻
トン〳〵トゆる音地より突上るか如く弐度有て止ム
○廿日 晴温和昨今如春今暁寅上刻ドウ〳〵〳〵ト鳴音致来
ル程なく家鳴りガタ〳〵〳〵〳〵家内一同起出雨戸一口開
立出ル用意火鉢等持寄る頃段々静ル
○廿一日 (中略)今夜更て軽震二度
○廿二日 晴昼西風烈熱田塩屋海道町肴屋勘四郎参りて話十
一月四日朝漁猟ニあつた浦より出船四十艘程之処沖之方真
向ニ成を不審ニ存する時風ともなく波ともなしに其船々を
北へ〳〵押入るゝ事恰矢よりも早く押込来る舟々一時ニ燈
明場石垣辺へ漕付〳〵遁上りつゝ気丈夫成者ハ跡を詠めし
に山立来ル津浪なれハ各津浪よ〳〵遁て命助かれと呼立し
かハ築地より西浦迄之家明捨て児を逆さまに抱ゆるも有り
我一と御本宮へ遁込しかハ舟乗を初あつた中にて地震津浪
共命失ひしハ一人も無之其外熊野浦近辺迄も乗出して挊(裃カ)き
し者迄も無恙帰れり神助の難有さ世人仰之十里廿里之道か
けて参詣人其砌ハ群集せし御本宮境内石燈籠一本まろばず
其節潮ハ浜鳥居辺迄上り西浦魚せり場之道迄上り家内へ入
しハ無之候世ニ語り申処ハ大神出玉ひて浪を分け舟を助け
させ玉ひしと申実にや新田先辺東西へ浪分れて登りしかハ
新田も少しつゝ堤切入なとハありし由然共人命ハ皆故障な
かりし難有事故馬を出して礼参りニ賑やかし候と物語る
○廿三日 晴和春日の如し入夜天雲れり亥上刻メキ〳〵〳〵
〳〵とゆり来りつよる(ママ)へき物音に付雨戸押披き家内ともに
立出る頃止たりそこにて歎息の口号一首徳義
春たてハなえふる歳の内にてもふりハやみませあめつち
の神 徳義(後略)
○廿四日廿五日先静なり然れとも震の気ハ不断にや家之内ど
ことハ不分候へともピチリ〳〵と戸障子の鳴音時々聞ユル
もの則是なるへし今晩鵜多須御代官内詰勤ル岸辰之丞ハ甥
にて歳暮旁参り合せ話しに倒家のものへ三分ツゝ半倒の者
へ二分之高ニ成様ニして被下陣屋取扱之臨時御救用意金ニ
綿布役銀と云口之金銀の中より御側金ニ差加へて被下候御
側金ハ一家江一分二朱之割ニ被下候案外多分ニ被下様ニな
りて御仁情を皆々難有かり泣申候て嬉しかり候御領中と申
てハ夥しき御事いかに御側御用金迚も果しなかるへくと奉
存御事なるニ御格別御手厚御はからひ思召品陣屋許にても
上下一同奉感て(ママ)難有かり居候なと語る又下之一色村之民ハ
田地なき地狭き所ニ家百余在居して漁猟を専ら渡世の種と
して常ハ豊饒之土地なり右之民屋一軒として不損傾ハ無く
小便瓶なと迄一も不破ハなし 宗□寺と云寺の住持遁出し
本尊仏の弥陀の像可出とて本堂へ走入須弥壇より抱き下ん
とする時堂倒れ圧に打れて死とそ右漁人の話とて隣家の老
婆語る
○廿六日 天晴無事彼家のメキ〳〵と時となくいふ音ハ止マ
ぬなり其体春の旱魃の時柱などのはちける音に似たり此程
ハ東海道も人馬行旅すると見え便状飛脚も差支なき様に届
く尾張様来春三月東海道御登り之処宿ノ家々修理届く間敷
かれハ少し延されて四月にも御旅行可被為成哉なと風説す
○廿七日 天晴和暁丑上刻ドウーと鳴音致メキ〳〵〳〵ト一
震あり軽く短し昼に及て城北成願寺村の成願寺真性房訪来
話ニ大地震之日当村之前矢田川ハ冬気水なく仮り橋ハ懸り
ても砂河原一面に[歩行|アル]かるゝ事也然る処大震に成て川巾一
盃ニ水涌流るゝ堤ハ中腹よりわれて薄濁り之水わき流るゝ
仮橋ハ高く立たりし橋杭を川底ニ引込む川原之砂処々山も
りに高く成今以其姿現存せり我方へ久屋町之人参り左ノ狂
歌を覚来り話すなと被語候まゝ記之百人一首天智変動
あきれたり苅ほのいほハ苫もあらす我子共らハ露にぬら
しつ 蟬丸
これや是ゆるもゆらぬも大地震死も死たが大坂か関
○廿八日 晴夕雲入夜晴風廿九日晴共ニ静也大卅日晴夕雲辰
上刻メキリ〳〵〳〵〳〵ト長く震未上刻トン〳〵ト突上ル
如く一震有り今朝の平震余り長くゆるを皆人なごりの地震
かと云
(中略)
扨も憂かりし歳も暮はや大晦日の夜も明けて安政二年乙卯
の春をそめてたう(ママ)迎へて公私にその祝賀をそ賑々敷ことほ
きける彼晴雨考正月三日を案しけるに何事なく三ケ日ハ静
和也四日ハ官舎の事始とて朝より出て未之刻比家に帰りぬ
けふハ朝五半頃より雨そぼ降出して年頭廻り可致にもぬる
ゝ事を厭ひ只官事のみ済たるを境として無余儀直ニ退出せ
しかハ宿にて湯あみし終る比ハ未下刻とそ思ふ此時忽家ギ
シリ〳〵〳〵〳〵と鳴動致来り暫く長くないふりする併遁
出る程にもなく音を考へて居し儘なり
○六日 今暁雨止西風烈しく吹落時ニめき〳〵と家も鳴る程
なり其中にて丑之上刻頃とも思ひし時グワタ〳〵〳〵と一
震あり但夜中都合三度ゆりしと云ものあれとも風烈敷故分
りかたし今日も暮て食事の後酉の中刻頃ギシイリ〳〵〳〵
とゆり出しけれハ今一際強り(ママ)候ハゝ可遁出用意之処夫ニ不
及してやかて止む
○七種けふハ殊更日和能暖かなり申上刻鳴り音無く忽にドシ
ーンビリ〳〵〳〵〳〵ドシインビリ〳〵〳〵〳〵とないふ
る昔ハビリ〳〵〳〵〳〵メキ〳〵〳〵ト次第上りの調子に
ゆする事常なりしか今度近来之趣共ドシインメキ〳〵〳〵
ドシイン〳〵と俄に下底より突上ル様に震の躰も変しける
と皆人云フ再酉半刻頃客と対話中メキイリ〳〵〳〵〳〵
〳〵〳〵〳〵家鳴り余程之間長く震ふ最早遁出可置とて火
鉢抱へ立出し頃静りかけ候あしく立懸置し木なとハ倒れぬ
件の客ハ古道具屋九右衛門なり話に今日百姓体にて新き手
桶楾(ママ)畳める様に拵へし刀架色々一荷にて我等店へ立寄重箱
を求候付尋候へハ百姓男我等ハ南野村ニ候か天白川堤地震
崩れ場御普請始り我等か所御用宿当り御役人止宿ニ付地震
に損らかし候諸色求補ひ候殊更御役人之事ニ付別して改た
め求め候此求行重箱ハ御役人弁当出し候ニ用ひ候と云され
ハ今度の地震ハ身厚きハ当り強く身から一寸の軽き者ハ何
かに付て作事等初り儲有り我等或商人もはや如此物買人あ
れハ其余沢を蒙るも却て地震の陰なりとて笑語スされハこ
そ世間に世直し地震とそ申けるも実理り有りける熱田大宮
司家の領地ハ天白川の東にて野並村七百石目はかりと覚え
しか前々より御朱印地自普請なり千秋家追々不如意も此村
田地ハ天白川砂流れて底高ニ成り悪水不開不毛の故とそ聞
えしか文化之比御手伝普請願有之其後之義も右願近々有之
今程ハ堤普請入用金をハ千秋家より被出之御普請方裁許を
致修補出来候由それハ毎歳之定式事にて若出水損亡等不時
事ハ御上より一統之堤へ見込普請ニ被成下様ニ成来れりと
そ是ハ大宮司家余程之助りにて難有事共成へし其体美濃国
尾州御領地出水損亡ニ公義御料所一同と御組込御普請ニ相
成候類ひ之仕方にて候併此節ハ御普請の見分積り至てひど
く築揚にハ必手間賃不足致す程之事故其不足ハ村より領主
千秋家の厄介に取之候よし案するに天白川底埋り田地より
高き処七八尺或一丈も違ひ候所有ル共聞ユ依之野並村水田
悪水溜り出水破損難渋不断千秋家昔之通自普請難叶様なり
しハ其基故と云是世之変化公用之増行て御勝手事多の起り
爰ニ現在す一村一主の事さへ如此況百万御領国の内万端御
事多可奉察なり
○八日 暁晴朝より雲夕七小前より雨ニ成今暁寅上刻忽ドヲ
ウ……と鳴音夥しく致来るスワ此音にてハ強かるへしと起
出よと呼ハリて雨戸開き立騒きしに震ひ無かりし也其前に
も少しく一震せしと隣のもの申せしか我等ハ寝て知らさり
し程の事か前宵より明迄ニ都合三度と云へり夜明て後暖成
事三月の如し満天雲夕より右之通降出し夜ニ入一睡せしか
夜半後東風忽起り家をゆする音にて目覚め起出風受之用心
を為スニ一時余にて静る是も震動の変化にやあるらん程無
く夜明たり
○九日 晴雲東行辰上刻ユス〳〵〳〵と一震あり未刻西風強
吹今暁東荒風之返し也
○十日 晴私無事
○十一日 晴今暁丑刻ドヲウーと鳴音聞え来りしかハ起出戸
を開置処静にて震なし依臥閨に入と雖目覚小用ノ心もちニ
成故起出其後燈下ニ几ニ倚りて筆を執り居候へバドシリ
〳〵と一震あり寅之上刻なり
○十二日より廿一日迄震気時として有之哉と思ふ音無にしも
あらされと先ハ員に可入程の事ニ及ハす
○廿二日 晴午中刻過ドヲウーと鳴音遥かに致し来るかと思
ふ処忽ドド〳〵と一震直ニ止む
○廿四日 夕一震廿五日雨古渡辺にてハ難分かりしか犬山城
下にてハ遁出程ニ震ひしと云
○廿六日 兼々今日を謡ひしか為差事なく入夜月の出ル時一
震あり強からす
○廿七日 晩日之入小前如突ニ一震入夜而戌上刻小過メキイ
リ〳〵〳〵〳〵暫く長かりしかハ人々皆遁出し也我等も先
雨戸明ケて軒下ニたゝすミ居たり妻火鉢持出しぬ然れ共追
付静りし也只今のハ七種之夜の震に似たり
○廿八日 晴和暖成事如三月晩ニ東風起り雲ル酉下刻比ドヲ
ウーと鳴音高くスワと思ひ居しにメキイリと一震音して跡
ハユス〳〵〳〵〳〵とゆりける遁出ル程にハ非ズ
○二月朔日 未之中刻ニ及比ドゞ〳〵〳〵とゆすり出し猶強
る(ママ)ニ付我等座敷にて客待居候火鉢三有之を先二沓脱石之上
迄持出置再今一取ニ入持出し置扨玄関前ニ廻り候へハ妻勝
手より火鉢抱へ走出ル娵ミつハ足袋之儘走出我等側へ遁来
候間南畑之広手へ可行居様申付遣し妻ハ庭中之山へ遁行彼
是する内静り候て我等座敷へ火鉢持込候暫過候時又一震仕
来り同しく火鉢持出候へハ静り又内ニ入候へハ無程又一震
仕来り候得共程合考居此節ハ不立騒居候てやかて止申候晴
雨考今月三日と書候へ共是にて済したく候今日初午来客小
児集り居候内ニ候ハゝ定て周章可致之処昼後迄ニ立仕舞候
間切れ故安堵せし也申の刻より大人集会一盃初める処入夜
迄無子細各安堵して祝酒を納めたり
○二日 晴薄雲雨気を可催歟昨夜より無事之処今夕申上刻頃
ユス〳〵〳〵ト軽震あり入夜而雨降出ル
○三日 晴無事今日ハ書出しに見えし日なれとも先安堵也
○四日 晴余寒強し申上刻トンと突揚ル如くに一震あり
○五日 雲今朝明け六時頃西より鳴り音高くドキ〳〵〳〵
〳〵と震ひしかハ雨戸開きしかと跡無し卯中刻過ユス〳〵
〳〵〳〵
○六日七日八日九日十日先静也
○十一日 雲昼小過ニユス〳〵〳〵〳〵
○十二日 雨同しく昼小過に昨日の如し
○十三日 暮六小過メキリト音せし斗り十一十二日の震ハ実
ニハ書生児百日休息読の最中喧くして不知しか他の話にて
漸知之
○十四日 晴東風未上刻過ドウ――と鳴りユスリ〳〵〳〵
〳〵ユス〳〵〳〵此時静座して在之時なれハ能知る也十一
十二両日のも此位の事ならん扨も其後ハ静なりと雖只春の
日の風に乗し家の柱なと乾き烈るか(ママ)ことくメキ〳〵トいふ
音斗ハ毎もの様に覚えしか世事𨻶なきに心も付かて暮ると
も知らす衣着さらきの月も過ぬ
○弥生朔日の朝天晴やかに東明にいたる時家中ガタ〳〵〳〵
〳〵〳〵と鳴動為し来るスワなへふるといふさま雨戸押明
たれハまた軒端ほのくらし家内遁支度にて出来りしか頓て
ゆすり治る
○二日 暁雲東明之比ドント一響せし斗にて有り其後雨ふり
出す
○五日 終日雨降晩申の中刻頃ガタ〳〵〳〵ユス〳〵〳〵ト
よほと長く震ふ妻火鉢を口元へ持出ル予執筆して机に倚り
居たりしか立も得やらて堪らへ済しぬ地震ハ晴天ならて無
しと云事申伝るにけふハ雨降り止さりし中にてかくゆすれ
り其後日ことに家の内ゆき〳〵とする音折々なり或ハ云傾
きし屋建の起返りする音なりと云左にハあらさるへし地の
うこくならんと思ひしか十二日の朝六ツ少前頃とも覚しき
に厠へ行居りしに西南にて凡五六貫目の大炮廿丁ばかり隔
ちて打たるかと覚ゆる音するといなやドント一突地をつき
揚たる如き震ひにて跡ハドウ〳〵〳〵鳴音久しく響きわた
りし其昼過にも同前ニドンと一鳴動致す身も少し突揚られ
し心持なり集り居し書生百児一時に遁出散乱今日も雨天な
りしかハ皆々……にて泥まろけなり
○十三日も雨降未之中刻比トン〳〵〳〵と鳴音して小動あり
申中刻大筒を遠く聞ことく鳴来り候とメキ〳〵〳〵〳〵と
長震す此時市巷ハ男女皆素足にて往来道路之泥中へ走り出
しと今夜更けて一震ス併能寝入し者ハ知らさりしと云程也
○十四日 午半刻一鳴動あり甚微也酉中刻又一鳴動いたし来
り家内メキ〳〵〳〵ト音スル其後静成しか
○十八日 雨今暁寅中刻一鳴動致来ル先起出雨戸開くビリ
〳〵〳〵ガタ〳〵〳〵余程長かりしか強からす
○十九日 未中刻一鳴動ビリ〳〵〳〵今朝已来メキ〳〵ト云
音ハ幾度共知れすケ様之メキつきハ日々時として多けれハ
記に及はす春も過
○卯月と成ても彼メキつきハ折節にして筆するに遑あらす
○十四日未中刻前後ユス〳〵〳〵〳〵ト動する事今日ハ朝よ
りかのメキ〳〵ハ絶間なく聞へし然しなから地火の欝滞す
る気発も最早薄らきけん次第に動揺の静まり行さまなれハ
此後を記さす(中略)頃日中震動遠去りしと思ひの外五月
二日夜八ツ小前ユス〳〵〳〵〳〵ト震フ
○四日 未半刻ドヲンビリ〳〵〳〵〳〵トゆする
○六月にも成ぬ廿五日今日一震ありしト云人あれと寝りて知
らす
○七月朔日 熱田より来れる人の曰去年大震後浜の鳥居辺陸
上へ潮乗り例より潮高四尺程余計満揚ル様に成ルト云
○十一日 未刻トヲンと突上か如く音して一震あり晴雨考に
ハ十日十二日ニ出れ共両日却て無事廿九日甚雨洪水川之切
入多
○八月にも成ぬ是迄時となく震ひ不止趣にて深更聞居れハど
こともなくメキ〳〵と云音絶へさる也十八日の暁メキー
〳〵〳〵〳〵〳〵暫く長くゆる音に目覚起出し八時頃也世
ニ云熱田海辺潮深凡四尺程震後の満揚高シト云一説ニ大震
世界を夫レ丈沈めしかト云予謹て案するニ大地沈まハ潮諸
共に可沈夫にハ不可有哉只今に日夜震動不止殊ニ大洋の震
なれハ今に日夜海中ハだふ〳〵〳〵と潮水不定もの潮の満
干に随て陸辺へも高く来るならんものか此日夜は震動さつ
パリ静謐せハ随て海潮も又随て定らんにや
○廿日 府下未之刻過より暴東風高潮海辺堤切入民屋流損人
死多
○九月十二日 寅中刻ドシンガタ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵
〳〵〳〵ト長震あり暫くして又ガタ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵
ト震一躰近日時となく影の如く震気有と雖只今のハ近日の
頭也
同廿八日 申ノ下刻ドウ―と鳴りビリ〳〵〳〵ガタ〳〵〳〵
ギシイリ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵ト震ルギシイリと云音仕出
しけれハ先火鉢二ツ両度ニ椽上より庭上へ持運ひ家内遁よ
〳〵ト呼ハリ庭上に出立処老ノ足下動揺して只ハ立難く覚
へし夜ニ入近隣人訪来りて近来之四日市地震之節之如くに
覚えしかト云き夫より入夜て近付〳〵メキ〳〵と小震ス子
下刻頃中震ニ人々戸明て遁出し宵より都合七震也
○三之丸 御宮石燈籠不残顚倒御霊屋石燈籠少シ立残ル分左
之通
東側北之端一 台徳院殿トハ見えて名不知
上野方 同一本 竹腰一岐守源正武
東御霊屋 北ヨリ五本目 中条主水藤原康満
九本目 千村平右衛門源重明
西側北之端 二本 成瀬隼人正藤原正幸
六本目 石川靱負源正章
十一本目 玉置大膳藤原直救
十三本目 肥田孫左衛門源忠□
芝方 東側北より二本目 大猷院殿ト見えて余ハ不見源長

西御霊屋西側同三本目 成瀬隼人正源正親
六本目 志水右衛門尉ヽヽヽヽ
九ヽヽ 大道寺ヽヽヽヽヽヽヽ十本目 長野ヽヽヽヽ藤原祐ヽ
十一本ヽ ヽヽヽヽヽヽ元成
十三本ヽ 鈴木主殿ヽ重長
同西ノ後江並北ノ一 成瀬隼人正藤原正輝
十三本目 石川靱負源正章
廿一本目 山澄主税藤原英貞
廿二ヽヽ 毛利治郎左衛門源頼容
一神宮寺新田ハ枇杷島川末東ニ付て文化年ニ築く処也惣て新
田ハ稲穂の実のり自然と後るゝ習ひありて此節秋最中なり
しかハ四日朝一民家心易き者収蔵の稲をこき籾を臼にて春
居ル処へ震動せし時其臼場の地裂けて黒泥流れ出し其裂目
の上春米の莚敷山に盛り在之処故悉地中に散し泥中に交り
地下ニ沈み入りてト云佐屋海道以南一段強かりしと相見候
追加
一安政二乙卯六月廿四日
美濃国高須 摂津守様
領分地震ニて陣屋住居向其外家中町在共破損ニ付拝借之義
被相願可為難儀と思召候当時御事多ニハ候へ共出格之訳を
以金千両拝借被仰付旨
○地震損亡達之事
一当寅年地震ニ付御普請方取扱御領分川々堤往還道橋等之損
亡凡左之通
一長廿八間半 本堤切所
一長五百二十二間 同震込所
一長五千三百五十六間 同垂(カ)所
一長一万七千七百五間 同引割所
一長四拾間 中堤引割所
一長四十二間 同垂(カ)所
一長八十八間 猿尾震込所
一長二十五間 同引割所
一枠五ケ所 破損
一杭二百六十六本 震倒
一土橋二ケ所 破損
一長二百六十三間 往還引割所
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 487
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
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