[未校訂](政四郎生涯進退履歴)
(注、日坂宿問屋帳付役岩井政四郎筆)
二十二才
嘉永七寅年 己レ廿二才
長男冨士平ヲ高御所村堀井重蔵へ養子ノ事
大地震ノ事
時ニ中村善右衛門ノ娘弐人震災ノ為ニ死セシ事
進士弥平ノ妹一人掛川ニ同ジク死セシ事
嘉永七年寅年(註:後に改元あり。一般に安政大地震とい
う。)十一月三日(ママ)天気静穏なり。当時商業は豆腐屋なり。当
然なる業にて、朝五ツ時(註:八時)頃より豆腐の製造にか
かり大釜に火をたき、傍らにて豆を挽きつつ心に、前年勢州
四日市に大地震ありて、其の辺の驚動大方ならざる事を聞及
びしに、其の事に[不図|ふと]胸にうかび、もし地震とも云はば如何
せんものと、考へ暫らくありて「ソレ 地震ヨ」と誰云ふと
もなく聞えけるに、我も「コハ大地震なり、立出ん。」と表
の方をさし、かけ出んとせしも、地の震るる為に左右に横た
わり速かに歩行ならねば、漸々飛ぶが如くして軒先に出た
り。此の時真向いなる成瀬満右衛門の家内 おつね 長男宗
平を背負い起つ転びつ往還に飛出せしに、あやしくも成瀬の
家の瓦庇し柱ともに倒れたるに、既におつねどのの背にあた
る程に見えたり。
己れ、一旦は往還に飛出でしも、地震を退るるには藪の中に
入るを是なり、と常々聞及びしかば、[復|ま]た更に我が家に入り
走りて裏に出て藪に飛び込み、母も共々藪にかがみ其の様子
を窺ふに、大震には非らざりしも莫終(終なく~始終の意)
震動止まず。
此の場合に於ては、万一自家[而已|のみ]ならず近隣他家に出火せし
事あらば、容易ならざりしを想像せしかば、先づは神の棚或
は仏壇本尊位牌等を焼失せし事ありては、我が家の由緒も失
ふ如く、向後の妨害を恐れ、又[些少|さしよう]の衣類等も取り出さんと
家に入り左右を見廻はる折節又、家の[震|ふ]るるに驚ろき裏の方
に飛出し藪に飛込める事数回にして、片時も心易からず。
なれども、家具衣類等を捨置くにも至り兼ね、驚倒し乍ら
も、度々家に飛入り、又飛出し、大切とすべきものは持出し
て藪に[陶|す]へ置くものとす。さて日も短く追々黄昏に及び、又
夜に入り臥せる場所も如何せんと手筈を為す。当時家族母壱
人己れと妻 キク(廿五才なり)男子亮平(二才なり)都合
四人の起居すべき場所を、屋敷の中央なる石垣の上段にて[四|よ]
[隅|す]まに柱を建て、有り合はせの木竹を以て[梁|はり]を渡し、上に本
宅の雨戸などを取りはづし持運びて屋根とし、葺並らべり。
時に誰れ壱人雇ひ度くも火災と違ひ、地震の時各戸各々自身
の心配も有れば、平素出入せる人々とて来訪せる者もなく、
何を為すにも我れ壱人にて手配する迄なり。
さて、今朝地震せしより間もなく掛川辺と察せし空に烟り甚
だしく立つ。そは掛川の火事なりと[街説|まちはな]す。然れども誰あり
て親戚へ見舞う抔といふ了簡も無けり。[終|つい]に其日も暮れ夜中
も時々ガタガタ震るる事度々にして数えがたし。尤も熟睡す
るもの無かるべし。
さて、翌五日(註:四日?)に早朝より街況を聞くに、掛川
の地震は[尚甚敷|なおはなはだしく]市中は皆焼亡し、又死人[怪我人|けがにん]数知れず。
実に惨然なるとの聞こえあり。親類も多分にあれば、当方の
無事をおもへば捨ても置かれざるより、己れ朝五ツ時頃より
家を発し、先づ大鋸町まで急走し訪ひけるに、本宅は半潰れ
にあり、裏の土蔵二つの内東の方なる間口四間奥行弐間三尺
の土蔵破壊し、其の庇の下に拾三才七才弐人の娘埋つまり居
れりと聞く。而已ならず近隣の人々打寄り鍬にて土・瓦を掘
り除き居たる最中なれば、真に之れ落涙止まらざる次第な
り。漸々朝四ツ時(註:十時)に至り掘り出し見るに、顔色
も別に悪しからず、体に敢て大疵も負はざりしかば、只々庇
の崩れ落ると共に身を伏せられ土煙りにてむせび息止まりし
ものと見ゆ。其の儘不取敢菩提所永江院の末寺大学院墓所に
埋葬済ましたりき。己れここを去りて掛川市の中に往き見れ
ば、二藤町(仁藤町)辺は焼原となり、此の地大坂屋と云薬
舗の横、路次に曲る角に 進士弥三吉(弥三右衛門長男にし
て己れの姪に当る十才なる おもん といふ娘二藤町大坂屋
に子守奉公中なりし)の妹死に倒れ居たり。(是は大坂屋主
人の取計らいにて天然寺墓地に埋む。)
さて、諸所を一覧するに、焼害の地は西町・仲町・連尺・二
藤裏町辺迄も連焼。又、各町々に家の倒れ、土蔵破壊大方な
らず見て、他人といへども哀痛なるは、二藤町中程北側にて
本宅の焼落ちたる[梁|はり]木に身体を押へられ、首を上げたる[儘|まま]焼
失せし婦人あり。実にこの姿などは最も苦るしみたえがたき
ものと察せり。
其の他各町々に種々苦死せしもの、又、[尠|すくな]なからず。又家の
倒れたる中にも、横に倒れずして二階を其の儘、地に裾はり
し([座|すわ]りし)も有り。それ是れ掛川の勢況は、書留尽し難け
れば余は略す。
日坂は、火災もなく、又家屋倒れは有れ人死は勿論大[怪我|けが]せ
しものもなかりしかば、不幸中の幸福と云ふべし。地震家屋
の動揺は、五・六日間止まらず。尤も始め二・三日間は、昼
夜に二三十度に及びしも、日々減じ、五日目頃は昼夜にて二
三回、七日目頃は更らに鎮まりぬ。
七日目の夜には、家族皆本宅に移り床に臥せり。隣宿金谷は
日坂よりも少しく重く、島田は又軽し。掛川最も甚しく、袋
井は軽し。火災は掛川而已に止まりつ。[都|すべ]ての事は後日本文
を読て察すべし