[未校訂]近江屋新開
近江屋新開は、室川の西岸、市塚部落の西方
を占める地域である。一柳直重が西条開市の
時に、大町から城下町に移った近江屋は、寛文年中、徳助・
与兵衛の兄弟が朔日市村の北の沖、市塚の[外|そと]に二ケ所の新田
を築き、与兵衛の子甚左衛門も延宝年間にこれに連る新田を
造った。これらをそれぞれ開拓者の名を冠して「徳助新田」、
「与兵衛新田」、「甚左衛門新田」と称し、以上三ケ所の新田
合して十町二反余、藩政の頃の高六十四石余である。
元禄四年春与兵衛、甚左衛門両人によって[深|ふか]の[洲|す]に新田を築
き、先の甚左衛門新田を「深の洲[内|うち]新田」といい、これを
「深の洲[外|そと]新田」と呼んだ。(今は[鱶|ふか]の字を用いる)しかる
に宝永四年一〇月大地震による津浪のために、この新田は木
村家の居宅と共に欠潰したので、翌年復旧工事に着手し、六
年に完成したが、この年の秋、また高潮のため、深の洲内外
の新田堤防が破潰して、海中に没してしまった。木村家の旧
記を見ると度々の災害について「自力に及ばないので、その
ままにしておいた」と記してある。