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項目 内容
ID J2300190
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔石が語る阿波〕S31横山春茂著▽
本文
[未校訂]津浪の惨状を語る鞆浦の碑(海部郡海部町)
片荷を枯木、片荷をシダにして薪の荷が出来た。腰の手ぬ
ぐいをはずして十二歳の平太郎は額の汗をふいた。宝永四
年十月の四日、いかに小春の十月でも毎日毎日の暑さは夏
を思わせる。朝から風もなくよく晴れた雲一つ見えぬ静か
な空の陽ざしはかれこれ八ツ、薪をかつごうとした時、グ
ラグラとにわかの大地震、薪と一しょに転倒した平太郎の
そばの草むらからキジが鳴き立て、諸所からモウモウと土
煙がたち十間以上は視界がきかない。
仰天した平太郎は、足を宙にわが家に帰りを急いだが、途
中でまだ産れて一週間にならぬ弟の与茂四郎と、産後で寝
ていた母を布団のまま背負い、妹二人の手を引いた父四方
原の庄屋野村七左衛門と出会った。
「大地震で津浪が来るだろうから近所の者と子供を連れて
たるみ山へ行け、証文や検地帳を流すのは残念だがしかた
がなかろう」といわれ
「私が取って来ます」と走りかけたところ、母も
「命には代えられぬ。このまま山へ逃げよう」と止めた
が、平太郎は
「津浪が来るまでにはまだ間がある」と取って返し、壁が
落ちかさなって動かせぬ大挟箱をたたきこわして書類、帳
簿を持出した。
山で様子をみていると沖の方で大きな海鳴りとともに光が
走り、微震は止まず、五日の晩までに夜五度、昼七度ほど
ゆれ、三日三晩を山で暮し、家に帰ったところ母は産後の
血の道を患うて……
と。これは海部郡海南町野村家の古記録から見た宝永の海部
郡津浪の一面である。
宝永年間には牟岐浦で仏閣、民家七百余流失、損壊、男女百
十余人水死、浅川浦、宍喰浦と全滅的被害を受け、鞆浦だけ
は一人の死者も出さなかった。
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 210
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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