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項目 内容
ID J2300178
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔諸願書日記〕○大阪府藤井村 藪二治家文書 岸和田市史編纂室
本文
[未校訂]宝永四亥十二月晦日 市兵衛判
沼村庄や長左衛門殿
別所村庄や五郎左衛門殿
藤井村年寄安右衛門殿
右之通書付渡申候
乍恐願書
一藤井村庄や役儀被為仰付被下難有奉存候、就夫早速罷越相
勤申度奉存候処、去年九月ノ大風ニ家破損ニおよひ、其後
地震ニつふれ家無御座候ニ付、此度けた行七間ニはり行三
間、又壱間ノ惣かわらひさし、又弐間半ニ弐間ノつのや右
之通ニ立申度奉存候、右之古木ともくちおれ申ニ付少も用
ニ立不申、恐惶御米弐拾石御拝借奉願上候、御慈悲を以被
為仰付被下候ハゝ難有可奉存候 以上
子閏正月八日
岡野伝八様
藤井村庄や
市兵衛判

一銀壱貫三百五両也
右ハ私家立料野具代御拝借米拾五石代銀ニ而御郡代様ゟか
けや源兵衛方へ之御手形壱通御渡被成、慥請取申候、かけ
や源兵衛方にて銀子請取可申候、返上之銀当子暮ゟ八ケ年
ニ可指上由被為仰付難有奉存候 已上
子閏正月廿六日
藤井村庄や
市兵衛判
岡野伝八様
宝永五年
子一月
乍恐願書
一当村四郎右衛門と申者居屋敷ニ小松弐本御座候、壱本ハ去
年大風ニ末をれ夫ゟ水入くさり申候へハ、御用ニ成申間敷
と相見へ申候、右四郎右衛門家年久敷家ニ而之所ニ、先年
地震ニ破損仕押直シ罷有候所ニ、去年大風ニ而又々及大破
迷惑仕候、右之木被為 成下候ハゝ、何とそ繕仕度奉願
候、枝木代ハ御意次第指上ケ可申候間、御慈悲之上被為
成下候ハゝ難有可奉存候 以上
午三月十五日
藤井村庄屋
市兵衛
同村年寄
安右衛門
牧七郎左衛門様
大橋紋左衛門様
乍恐願書
一当村御蔵先年之地震ゆかミ及破損候、押直シつくろい仕候
所ニ此度之風雨ニ而瓦モ壁落ゆかミ申候ニ付押直シ柱之□
つきも仕つくろい仕度奉存候、御慈悲之上御米弐石御拝借
被為成下候ハゝ難有可奉存候
午八月十七日
市兵衛
安右衛門
谷久兵衛様
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 200
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 岸和田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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